「年賀状じまい・マウント」過剰反応する人の盲点 「オンラインの年始挨拶もなし」の風潮が広がる訳
しかし、1度でもそれに慣れたら、LINEやメールすら「面倒だから」「時間がないから」と感じ始めるのが人の心。さらに、「LINEやメールで送る年賀状は、あまり意味ないかもしれない」という感情につながりやすく、親しい友人以外は送らなくなる人が少なくないようなのです。
つまり、手間や時間の多い少ないではなく、それが少しでも「面倒」「時間がない」と感じているのなら、ゼロになるまで簡略化し続けるということ。これは年賀状だけでなく、仕事や家事などでの「やりたくないこと」も同様であり、簡略化で量を減らしても、「もっと減らしたい」という思いが芽生えるものです。
年賀状に関しては、もともと新年の挨拶にうかがう年始まわりの代わりに行う風習。「訪問する」という手間がかかることを簡略化したものだけに、さらに簡略化してオンラインにし、さらに簡略化して「なし」に……と考えるのは自然な流れなのかもしれません。
また、このところよく耳にするのは、「年賀状じまいを考えていたけど、きちんとできずにいて、けっきょく届いた人にだけ返すことを繰り返していたら、枚数が減ってほとんど出さなくてもよくなった」という声。相手も「届いた人にだけ年賀状を出す人は、年賀状じまいを考えているのかな」と空気を読んで出さない人が増えているようなのです。
年賀状じまいというフレーズがたびたびメディアで採り上げられるようになり、「この人とこの人は、もう年賀状じまいしてもいいかな」と気軽に判断しやすい環境になったことも大きいでしょう。「自分だけやめるのは気が引けるけど、やめる人がそんなに増えているのなら少しずつ減らしていこう」という消極的な年賀状じまいをする人も多いのです。
数年かけて段階的に行ってもOK
次に、「まだ送っているけど、本当はどうしようか迷っている」という人はどうすればいいのか。迷っているのは、「メリットも感じている」「なくなったら寂しいかもしれない」などの気持ちが少なからずあるからでしょう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら