モキイアは3つの要因を挙げている。この3つはそれぞれシュンペーターの3つのアイデアに対応する。
第1は知識と情報の普及で、これがイノベーションを可能にする。
第2は国同士の競争で、これは創造的破壊を可能にする。
第3は、発明家の知的財産権を保護する制度の確立である。
知識と情報はどのように普及したか
知識と情報の普及は18世紀に非常に重要な役割を果たすが、それが可能になったのは、安価な郵便サービスの出現と印刷コストの低下のおかげである。
新聞の数は劇的に増え、百科事典も多数刊行された。
英語で編纂された最初の近代的な百科事典は1704年にロンドンで出版されたジョン・ハリスの『技術事典』だと言われる。
この事典はイーフレイム・チェンバーズの『百科事典』(1728年)の土台となった。
ディドロとダランベールの出版計画も、当初は『百科事典』をフランス語に翻訳するというものだったが、その後にもっと野心的な計画に切り替えている。
彼らの『百科全書』、正式には『百科全書、または学問、芸術、工芸の合理的辞典』の第1巻は1751年に出版された。
『百科全書』の目的は、専門家の知恵を結集し生きた知識を記述することによって、時代の叡智をとりまとめることにある。こうした著作の普及も、人々の科学技術知識の習得に役立った。
知識が普及すると、科学分野での交流が始まってアイデアの交換がしやすくなり、さらに知識の進化が加速する。この点は、組合やギルドが知識を秘密にしようとした15世紀と対照的だ。
18〜19世紀になると、真の情報共有文化が定着する。おかげで発明家はゼロから始める必要がなく、豊富な知識を活用し「巨人の肩に乗って」新しい発明を構想することができた。
発明の意欲に燃える人たちや国家の間の自由な情報交換は、イノベーションの蓄積プロセスひいてはテイクオフの推進力となる。
国境を越えて人文主義者、大学人、文学者などが集い、共通言語であるラテン語で意思疎通するいわゆる「文芸共和国(Republic of Letters)」も発展した。