第1次産業革命がヨーロッパで起き、車輪や羅針盤を発明した中国で起きなかったのはなぜか。テイクオフの原動力となったのは何か、技術の進歩か、それとも制度の進歩か。
科学的な思考の出現
産業革命のだいぶ前から、人類の歴史には技術革新がちりばめられていた。
だが工業化時代と違ってこれらのイノベーションは単発で孤立しており、持続的なイノベーションと成長にはつながっていない。
この点に注目した経済史家のジョエル・モキイアは、成長のテイクオフの実現には科学的な知識と実用的な知識との相互作用が必要だと2002年に指摘した。
彼は命題的知識(理論知識)と規範的知識(実践知識)を区別する。前者は自然現象を解明する科学の知識を、後者は生産に活用される技術の知識を意味する。
命題的知識の進歩は発見であり、規範的知識の進歩はイノベーションである。
工業化以前の時期の成長は、基本的に規範的知識の進歩に依存していた。つまり技術の利用者が、その土台となった科学的知識を知らなくても役に立つ技術の蓄積に頼っていた。
対照的に19世紀に入ると、技術を活用する基礎として、原理を理解しようとする動きがさかんになり、科学的なアプローチが目立つようになる。
「どうすれば動くか」ではなく、「なぜ動くのか」を問うようになったわけだ。
こうして科学的な思考が出現したことでそれまでの流れとは断絶が生じ、命題的知識の理解と新たな分野への応用が始まる。
経済学者のデービッド・エンカウアが指摘したとおり、「この時期には知識の状態が実用技術中心から基幹技術中心に移行した。つまり、科学と技術が結合したのである」。
たとえば化学の分野では、いろいろな物質を混ぜ合わせたらどうなるかということは何世紀も前からわかっていた。
だが化学組成の概念が定式化されて初めて、新たな化合物を作り出すことが可能になる。
同様に、顕微鏡はずっと前に発明されていたが、科学的な知識の習得によって微生物学の発展が可能になった。
このような科学と技術の相互作用にとりわけ役立ったのが数学である。
たとえば数学によってニュートンの法則の定式化が可能になり、発射体の運動を説明できるようになって弾道学の進歩を後押しし、新たな科学的発見につながっている。
産業革命を特徴付けるのは、まさにこの科学と技術の歩調を揃えた進化なのである。
となれば、なぜこのような進化が可能になったのかを問わねばなるまい。