中国語は語感が大切にされる言葉だ。この「ウーマイ」という単語が今中国語の中で持つ、ただならぬ毒々しさは、「病毒」(ウイルス)とか「屠殺(虐殺)」などの言葉並みの悪辣なニュアンスを漂わせている。そこには、中国の人々にとって、この問題への嫌悪感や憎しみ、諦め、不満などが言葉にこもっているからだ。
そんな不快な気分が「ドームの下で」で一瞬、すっきりと晴れ渡ったように一掃されてしまったのだ。まるで、春一番のようなもので確かに「快挙」であった。問題は、この告発ドキュメンタリーが、いかなる意図と経緯で制作され、いかなる理由と判断によって禁じられたのかという点だ。
柴静は中国メディアの体制内ジャーナリストとしては最高レベルの知名度を誇っている女性で、CCTVの看板番組でキャスターを務め、SARSや四川震災における果敢な現場報道で有名になった。もともと大気汚染がひどいことで有名な中西部の山西省出身ということもあり、環境問題に熱心でもあった。2013年に発表した「看見」は150万部のベストセラーとなり、日本語にも「中国メディアの現場は何を伝えようとしているか」というタイトルで翻訳されている。
「当局の仕込み」なのか
ドキュメンタリーの内容については、すでに各方面で紹介されているので簡単にとどめるが、各地の大気汚染の深刻さを紹介しながら、汚染物質を垂れ流す企業を批判し、人民1人ひとりに「告発」をする行動を求めている。104分の長さだが、映像効果的にもアップルの新商品発売のように、柴静が聴衆に向かってパワーポイントを用い語りかけるスタイルで、引き込まれるように見てしまう。内容への批判はいろいろあるが、細かい点をつつこうとすれば何とでも言える。全体の印象として、ドキュメンタリー番組として非常によくできたもになっていることは間違いない。
「ドームの下で」が発表されたのが中国で年に一度開かれる「両会」(全国人民代表大会と全国政治協商会議)の開催直前ということもあって大きな話題となったが、熱が少し冷めた頃に人々が議論を始めたのが、これが「当局の仕込み」だったのかどうか、だった。
中国共産党の情報統制に長年痛い目にあってきている「公知(公共知識人の略)」と呼ばれる作家やコラムニスト、メディア人たちは、総じて、柴静の報道に対して懐疑的な視線を向けた。それには主にこんな推察がある。
一方で、柴静の個人的問題に対しても、いろいろな批判が出た。たとえば、彼女が大型のランドクルーザーを運転していることや、自身ではタバコを吸っていることなどを理由に、必ずしもエコライフを送っていないという批判も広がり、ネット上は「柴静支持派」と「反柴静派」で割れてしまった。
また柴静が、出産のために一時米国に渡っていたことから、米国が資金を出した、との陰謀説もあった。作品のスタンスがゴアの「不都合な真実」に似ていたことも米国陰謀説の推測を生んだ理由の一つだろう。
いずれにせよ、当初は優勢だった「仕込み説」だが、「ドームの下で」が言論規制の取り締り対象になると、それが揺らぐことになる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら