なぜ官僚や学者の政策はいつも失敗ばかりなのか アベノマスクから岸田政権の総合経済対策まで

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この調整、デザインができなくなった理由は何か。政治家、官僚のレベル低下といってしまえばそれまでだが、実は一番致命的なのは、経験不足である。

試行錯誤をするしか解決策はない

社会システムデザイン、社会における調整、これは経験がモノをいう。
官僚たちは、1945年から1955年まで、戦後の日本の社会システムを作り上げるという自負と気概があり、そしてそれが経験として残った。その当時の経験者は、いまやどこにもいない。

1960年代から70年代、政治家たちは利害調整に追われた。派閥同士の調整(戦い)にしのぎを削った。いまやまともな調整、ボトムアップで、すべての与党議員の利害調整を行い、纏め上げる政治家がいなくなった。経験者ですらいなくなってしまった。

そして、とどめは、官邸政治である。官僚から政策決定権を奪い、総理のリーダーシップを発揮するという名の下に、デザインどころか、調整すらできない、いやしようとすらしない、「勘違いリーダーシップ」を発揮するトップダウンの司令塔が出来上がってしまったのである。それは政治家も悪いが、それに乗じて小さい権力を握ろうとした官邸官僚も悪い。そして、ただ、ストレス発散で、すべてを官僚のせいにして、官僚をいじめる政治家に拍手喝采を浴びせた国民が悪いのだ。

こうして、21世紀、政策も政治も何もかもがうまくいかなくなってしまったのである。これが、日本の最大の問題なのだ。取り戻すには、うまくできなくても、みんなで力をあわせ、努力して、試行錯誤していくしかない。そして、そのエネルギーで自分たちの社会を立て直す。ゼロから作れるものではなく、今あるものを調整して、補修しながら、骨格まで直すところは、政治的リーダーシップを発揮し、デザイナーが試行錯誤する時間を、社会に許容させることが必要なのだ(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が競馬論を語ったり、週末のレースなどを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)。

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