――アメリカのバイデン政権は、ウクライナ問題にどう向き合ってきたのでしょうか。
まさにバイデンこそ、「プーチンは悪、ゼレンスキーは善」という徹底した二元論的立場に立っています。そのうえで「善のゼレンスキー」と一体化している。それがアメリカの正義です。
実は先ほど話したマイダン革命後の2015年、オバマ政権の副大統領だったバイデンはドイツのミュンヘンで演説し、ウクライナへの武器を供与することがNATO諸国の道義的義務だと訴え、ウクライナへの軍事支援を約束しました。
ネオコンともつながりのあるバイデンの立場は明確です。アメリカの掲げる自由と民主主義という価値観は絶対的なものであり、冷戦後の欧州でその価値を実践する場がウクライナだ、と。実践の主体たるアメリカは善、邪魔するロシアは悪だ、と。大統領に就任してから、その姿勢を明確化していったと言ってよいでしょう。
停戦が可能だった時期があった
――そうした前史があって、今年の2月にウクライナ戦争が始まったわけですが、開戦直後には停戦交渉も行われていました。停戦のチャンスはなかったのでしょうか。
停戦は可能だった時期があります。外交による解決には、完全なる勝利も完全なる敗北もありません。
通常は「51対49」とか、互いのメンツを立てながら、ぎりぎりの内容を詰めていくわけです。相手を徹底的に打ち破れという「100対0」だと、少なくともどちらかの国家または国民は破滅です。
ウクライナ戦争において、最大の停戦の可能性は3月29日のイスタンブールでの和平交渉にありました。詳細は避けますが、その場で示されたウクライナ側の10項目の提案を読んだとき、私は驚きました。
ウクライナの中立化・非NATO化が第1項目に盛り込まれたほか、領土については、クリミアは2015年の話し合い、ドンバスについてもそれに近い内容でした。首都キーウでの軍事作戦縮小を表明し、東部への戦線を縮小していたロシアはこの内容を評価し、このままいけば、プーチンとゼレンスキー両大統領が会談する可能性も伝えられていました。
ところが、思わぬことが起きました。戦争勃発後、ロシアとウクライナが最も接近した瞬間は、もろくも崩れ去りました。
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