おおた:そういう視野の中で中学受験をとらえるのと、中学受験だけしか見てないのとでは、同じ中学受験を経験したとしても多分全然意味合いが変わってくるんですよ。ただし、視野が狭くなっちゃいけないってことを正論としては言えるんだけど、実際、渦中にいると、私たちでもそうなっちゃうじゃないですか。
朝比奈:親として渦中にいた時はどうだったんだって言われたら私も何も言えない。それに、終わって客観的に振り返ったり、小説を書いたり、っていうことはできたとしても、その真っ只中にいた時の子どもが受けた影響については、私もはっきりとわかっていません。
偏差値とか第1志望とか第2志望とか、そういう序列みたいなものに晒されている子どもたちが、将来どのように世の中を見るようになるのか。他人との比較でないと、自分がわからない、自分が見えないっていうようなことになってしまうのではないか。いくら稼いでるかとか、フォロワー数とか、再生回数とか、数でわかるもので優劣をつける人たちって、非常に怠けて生きているように見えるんですよね。
おおた:うん、うん、うん。
中学受験はあったほうがいい?
朝比奈:奥深いことを見ようとしたり、見えないものを見ようとする努力。この人はどんな人で、何を幸せと思うんだろう?というような、人を知ろうっていう気持ちを持たず、さぼってしまう。そういう努力を怠って、すごく安直な目で、「この人はこのぐらいの人間だ、この程度だ」とか、そういうふうに見ちゃう人間が増えることの怖さを感じます。人間が人間でなくなっていくような未来が、うっすら見えてくるような気さえする。
おおた:中学受験の負の側面を散々話してきたわけじゃないですか。じゃあ「中学受験はなくしちゃったほうがいいんですか?」って問われたら、僕らはどう答えるべきなんですかね。
高瀬:今の過熱した状況は良くないけれど……、私は、中学受験はあっていいと思う。ただ、不思議なのは、終わって冷静になるとわかることが、なぜ渦中にいると見えなくなるのか……。
朝比奈:不思議ですよね。
高瀬:万人が陥るじゃないですか。陥らなかった人の話を聞いたことがない。あれはやっぱりよくないし、ああなってしまうと、子どもの足を引っ張っちゃう。中学受験っていうもののいい面を残したまま、狂騒曲みたいにならないようにする方法がないのかって。