「魚が獲れない日本」と豊漁ノルウェーの決定的差 漁業先進国では「大漁」を目指さない合理的理由
前回記事に対するリアクションで、目についたのが「漁業者が悪い」という趣旨のコメントでした。「魚が獲れない⇒小さな魚まで獲る⇒魚が減る⇒魚が獲れない」という悪循環の中で、確かに小さな魚まで獲っているのは漁業者です。
しかしながら、筆者は漁業者が悪いとは考えていません。それは「自分ゴト」として考えていただけるとよくわかります。悪いのは、漁業者ではなく、資源管理制度がまだ機能していないことにあります。
大きくて、脂がのった旬の時期のほうが、消費者のニーズに合い価格が高いことを漁業者が知っていることはいうまでもありません。しかし、小さな魚でも自分が獲らなかったら、他の漁業者が獲ってしまうことになります。これを「共有地の悲劇」と呼びます。
ご自分が漁業者という前提で考えてみてください。昔たくさん獲れていた魚が獲れなくなり、どんどん価値が低い小型の魚ばかりになっているとします。価値が低いと言ってもお金にはなります。しかし、大きくなってしまう前に獲ることで、資源が減っていくことは誰にでもわかることです。
全体としては悪循環となりますが、漁業者自身は生活がかかっているので、この状況下では「小さな魚でも獲る」という選択に、ならざるをえないのではないでしょうか。
この状況がまさに「乱獲」です。しかしこれは漁業者が悪いのでしょうか? 漁業先進国でのほとんどの商業魚種がそうであるように、水産資源を適切に管理にしている国々では、日本のようなことは起こりません。
漁業先進国の漁業者はどう違う?
わかりやすい成功例として、筆者が長年見てきたノルウェーの漁業者のケースをあげてみましょう。漁業者には、漁船ごとに実際に漁獲できる数量より、はるかに少ない漁獲枠が割り当てられています。
漁業者の関心は「大漁」ではありません。決められた漁獲枠でどれだけ「水揚げ金額」を上げるかに関心があります。つまり重要なのは「水揚げ数量」ではなく「水揚げ金額」となります。
価値が低い小さな魚や、市場の評価が低い、おいしくない時期の魚については、安い魚を獲るために貴重な漁獲枠を使うのは、もったいないという発想になるのです。
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