では、父との関係はどうだったのかというと、これは非常に複雑でした。母とは対照的で、父は勉強についていろいろ口出しをしてきて、模試の結果を見たり勉強についてコメントしたりしていました。
もちろんそのアドバイスは的確なものもあったのですが、高校生の僕は鬱陶しく思っていたのを覚えています。
大喧嘩の末にわかった父のホンネ
そんな父と、僕は3回目の合格発表の前日に、大喧嘩をしました。
2浪の末の東大入試が終わって、明日はいよいよ合格発表!というその日の夜に、僕は父親と大喧嘩したのです。
その日父親は、合格発表前日の夜だというのに僕に「ある物」を渡してきました。
それは、「今年の東大受験のデータをまとめたファイル」でした。今年のセンター試験の平均点は何点で、東大入試の各科目の難易度はどれくらいで、合格ラインはどれくらいの点数になりそうなのか、予備校が出しているデータを基に細かくまとめたファイルを僕に差し出して、「これは俺が調べたものだ。今から、お前が受かっているか落ちているか確認するぞ!」と言うのです。
僕は怒りました。「明日わかるようなことを、こんなふうにデータで出して、なんの意味があるんだ」と。
僕は、ここまですごく頑張ってきました。母親は、その頑張りを評価してくれていて、結果にはこだわらずにいてくれました。それがとても嬉しくて、だからこそ父のこの発言が許せなかったのです。
「結局、父は結果にしか興味がないのか」と。
そんなこんなで喧嘩になって、お互いに自分の感情をぶつけ合って、ぶつけ合ってぶつけ合った後で、父は不意にこんなことを言いました。
「だって、落ちたらお前泣くじゃん」と。
「は?」と僕は思わず聞き返してしまいました。すると父はこう続けるのです。
「お前、ここまで頑張ってきたじゃん。偏差値35だったのに2浪もして、ここまですごく努力してきたじゃん。なのに、これで落ちたら、可哀想だし、泣くじゃん」
と。
この発言に、僕はびっくりしました。びっくりして、思ったのです。「ああ、自分は間違っていたんだな」と。「この人は、別に子どもに東大に行ってもらいたいんじゃなくて、子どもの頑張りが報われてほしいと思っていただけだったんだな」と。
次の日、合格発表があって、番号があることを最初に確認したのは、父でした。家族の誰よりも、僕よりも喜んでいたのは、父でした。
今思い返してみると、この両親がいなかったら東大には受かっていなかっただろうなと思います。母から直接勉強を教わったりしたことはなかったけれど、父とは喧嘩ばかりだったけれど、でも僕が東大に合格できたのは、この両親のおかげだと、本気で思うのです。
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