「息子が、試験会場に、体調の不備なく、道中で事故に遭うことなくたどり着いて、無事に試験を受けられますように」
ということを祈ったのだそうです。
「合格するか不合格になるかは、あんたの問題だから、私の管轄外。逆に、あんたが健康に試験会場にたどり着けるかどうかまでは、私の母親としての仕事」
とのこと。
今思うと、受験のときの僕は合格できるかどうかがすごく心配で、気が気ではありませんでした。そんなときに、自分だけでなく母までが合格するかしないかを心配してしまっていたら、きっとプレッシャーになっていたと思います。
母はずっと、結果ではなく過程を重視していたのです。子どもが合格できるかどうかではなく、子どもが悔いなく頑張り切れるように支援していたのです。
母は徹底してずっとそういう態度を取っていて、合格発表の日ではなく、受験が終わったタイミングで「お疲れ様」のお祝いをしてくれました。普通なら合格発表までお祝いってしないものだと思うのですが、「頑張り切った」ということを褒めてくれたのです。
不合格がわかった瞬間の、母の一言
そこまで応援されたにもかかわらず、僕は親不孝者で、2回も東大に落ちることになります。
家で母とパソコンの前で合格発表を見て、自分の番号があるかどうかを調べて、そしてなかった、というのは、今思い出してもどうして乗り越えられたんだろうというくらいの絶望でした。
そのときの母の言葉は、今も覚えています。
「ピザを頼みましょう」
母は、そう言って宅配ピザをたくさん頼んで、一緒にドカ食いしたのです。
で、泣きながらピザを食べたのを覚えています。
どうせあのとき、どんな言葉をかけられても、僕はつらいままだったと思います。「よく頑張ったよ」でも「次があるよ」でも、僕は立ち直れなかった気がします。
でも、人間って不思議なもので、美味しいものを食べるとなんとなく幸せになってしまうんですよね。その意味で、母の「ピザを頼もう」発言は理にかなっていたんだと思います。
その後、僕は2浪で東大合格を勝ち取り、母に少しだけは恩返しできたのかなと思います。
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