「シルク・ドゥ・ソレイユ」を経て起業した彼女の今 五十川舞香さんが説く、Web3だから実現できる事
新たなインターネットの世界として、バズワード化したWeb3。日本国内ではまだまだ未知の部分も多く懐疑的な意見も多いが、実際のところどのような可能性を秘めたものなのだろうか。
サンフランシスコでWeb3サービス『Webacy』(ウェバシー)を開発・共同創業した五十川さんは、「Web3は使い道によっては、われわれの困りごとを一気に解決し、社会が一歩前進するようなサービスを生み出す可能性がある」と語る。
スタンフォード大学に入学後、シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーを経てMicrosoftエンジニアとして働くも1年で退社した五十川さんが、未踏の地であるWeb3の世界で起業した理由とは。
彼女のキャリア選択の軸、そして、Web3サービスの「作り手」側となった今、Web3の可能性をどう見ているのか話を聞いた。
大学を休学し、パフォーマーとして2年活動
——五十川さんはいつ、どのようなきっかけでシルク・ドゥ・ソレイユ(以下、略称である「シルク」)のパフォーマーになったのですか?
私がシルクのパフォーマーになるチャンスを得たのは、スタンフォード大学に入学して3カ月目くらいのことでした。
アクロバット(競技)を始めたのは、中学生の時。当時は趣味のような位置づけで、まさか仕事になるなんて思っていませんでした。
シルクからオファーが来たのも、本当に偶然で。ちょうど私くらいの年齢・体格を備えた女性パフォーマーが必要になったそうで、棚ぼた的にチャンスが舞い込んだんです。
「こんな機会にめぐりあうことは、一生のうちで一度きりだろう」と感じ、大学は休学することにしました。アメリカの大学ではexploration(可能性の模索)のための休学はめずらしくないので、特にためらいはありませんでした。