「ミスが多い」53歳で退職した発達障害男性の末路 てっきり定年まで働き続けるものと思っていた

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大人の知能検査である「WAIS-Ⅳ」を受けた結果、最も得点が高かったのは語彙の豊富さや言葉で説明する力を図る「言語理解」で、最も低かったのは作業を素早く正確にこなす力を図る「処理速度」、その差は30だった。医師からは「発達障害の疑いあり」と告げられた。

「やっぱりな……」とマナブさんは思ったという。「(発達障害だと)知らなければ、まだがんばればできるんじゃないかという希望が持てたけど、診断されたことで限界を突きつけられたような気持になりました」。

関西の地方都市で、共働きの両親のもとで育ったマナブさん。小中学校時代はいじめを受け続けた。「汚い」「近づくな」といった言葉の暴力に加え、ことあるごとに仲間外れにされたという。

「サッカーの授業で、私は球技が不得意だったのでキーパーに回されたのですが、わざと接触プレーに持ち込まれてよってたかって蹴りを入れられました。中学3年生のときには学級委員長に選ばれたのですが、高校受験を控えてだれもやりたくなかったんです。女子で選ばれたのは軽度の知的障害のある子でした。“逆人気投票”ですよ。さすがに先生も選びなおすよう提案したのですが、クラスメートたちから『それは逆差別だ』と反論され、結局押し付けられました」

なんとも胸の悪くなる、陰湿ないじめである。こうした経験もあり、人付き合いは苦手。生物が得意だったので、大学は農学部に進んだものの、就職活動には苦労した。世の中がバブル景気に沸く中、就職が決まったのは大学4年の秋。研究室の中で最も遅かった。しかも希望していた研究職ではなく、営業職での採用だったという。

収入は会社員時代の3分の1以下に

会社を辞めた後の再就職活動は案の定一筋縄ではいかなかった。ハローワークに通っても正社員の仕事は皆無。パート採用された会社からは試用期間の終了とともに解雇された。昨年から障害者枠で運送会社の庫内作業に就いたものの、時給は最低賃金水準。収入は会社員時代の3分の1以下になった。

現在の職場で、運転と同時に営業もこなすドライバーや、臨機応変にクレーム対応にあたる事務職の社員を見ていると、自分にはできないことばかりだと無力感にさいなまれるという。

「収入の少ない仕事をバカにする気持ちはないんです。ただ収入が少ないこと以上に、そういう仕事にしか就けない自分に生きづらさを感じます。(発達障害当事者に対しては)『特性を生かして得意な仕事をすればいい』と言う人もいますが、(その特性が)仕事として世間が求めるレベルになければ意味がないと思うんですよね」

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