結局、マナブさんは自ら退職届を書いた。大学卒業と同時に就職した会社で、てっきり定年まで働き続けるものと思っていた。しかし、30年間の会社員生活の終わりは実にあっけなかった。
マナブさんの作業の遅れやミスとはどのようなものだったのか。当時の勤務先は野菜などの品種開発や、種や苗の生産販売を手掛ける種苗会社だった。マナブさんは同僚に比べて苗などの育成や接木作業の効率が悪かったという。
「この業界では『水やり3年』とも言われるのですが、私はそのコツがなかなかつかめなくて……。苗が均等に育たず、農家に渡せる本数が予定よりも少なくなってしまうことが、年に1回はありました。同僚が1時間で100本、接木できるところ、自分は70本しかできなかったり、害虫の発見が遅れて品質検査中の野菜をダメにしてしまったりしたこともあります」
ミスをしないよう慎重になると、作業が遅れ、焦ってミスをする――。そんな悪循環に陥ったという。
辞めさせられるほどのミスだったのか
たしかにマナブさんは会社にとって「優秀な社員」ではなかったのかもしれない。しかし、指示に従わなかったり、無断欠勤を繰り返したりしたわけではない。頻度にもよるが、はたして辞めさせられるほどのミスだったのか。上司からは同じころに「発注システムが変わったから早く慣れて」とも言われていたといい、リポート提出の命令はマナブさんにとっては寝耳に水の出来事でもあった。
一方で会社側の対応は退職強要やパワハラとまではいえないようにもみえる。持論にはなるが、このご時世、マナブさんのような年齢で正社員の仕事をやすやすと手放すべきではなかったのではないか。不当な解雇や雇い止めを防ぐための法整備もなされている。これに対し、マナブさんはこう主張する。
「(上司の態度は)反論を許さないという感じでした。たとえ発達障害だとわかったとしても、それが受け入れられる雰囲気ではありませんでした。何より私自身がもうここに自分の居場所はないと思ってしまったんです」
いずれにしても会社を辞めたことで、430万円ほどあった年収はゼロになった。
退職後は発達障害かどうかを調べるのに一苦労した。心療内科に片っ端から問い合わせたところ、いずれも検査の予約はいっぱいと言われてしまったのだ。「中には1年先まで埋まっていると言われたところもありました」。やむを得ず、隣接する自治体の病院まで足を延ばし、ようやく検査を受けることができたという。
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