大久保利通、琉球併合でしれっと仕掛けた驚きの罠 「琉球は日本に帰属する」と清に認めさせた経緯

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当時、現在の沖縄県にあたる琉球王国は、日本と清の両方が、その帰属を主張していた。日本側は江戸時代から薩摩藩が支配していたことを理由にして、一方の清側は明朝と琉球国が冊封・朝貢関係にあることを理由にして、それぞれが自国の統治下にあると譲らなかったのだ。

その点を踏まえて、今回の台湾外征を観てみれば、どうだろうか。まさに琉球の一部である宮古島の人たちが台湾の現地人に殺害されたために、日本が声を上げたことになる。

抗議したのは、日本が「宮古島の島民は自国民だ」とみなしていたからこそのこと。大久保は初めから「琉球は日本に帰属する」という前提で、清との交渉に挑んでいたのだ。

清はその前提を自然に受け入れたうえで、大久保と交渉してしまい、しかも台湾出兵を「義兵」(正義のための行動)と認めたことになる。これは琉球に住む人々を日本人だと清が認めたことにほかならない……大久保の外交は、そんな布石をも打っていたのである。

清への旧習をやめさせ、日本に併合

このことを突破口に、大久保は清と琉球王国の関係を引き離していく。大久保外交が行われた翌年、明治8(1875)年に清で新しい皇帝が即位すると、琉球王国は使節を送ろうとしている。これまでどおりに慣習を守ろうとしたのだ。

だが、それでは元の木阿弥になってしまう。大久保はこれを阻止するべく、太政大臣の三条実美に「琉球藩処分方ノ儀伺」を提出。配下の松田道之を那覇に送り、清への隔年朝貢や、新帝即位における派遣使節を取り止めさせるなどし、旧習を払拭させようとした。

そうした積み重ねの結果、明治12(1879)年には琉球王国が廃され、沖縄県として日本国に併合される。併合の理論的な根拠に、大久保の外交の成果が大きな意味を持った。

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