子どもを「怒る」罪悪感はみんな共通
――お子さんとの関わり方における悩みはありますか?
あばれる君:読者さんもアンケートで相談してくれたように、僕も怒ることへの罪悪感があるんです。最近読んだアドラー心理学の『幸せになる勇気』は賞罰教育を否定して、子どもは自分のために動いているのだから、怒らず対等に話すべきと説いています。
でも、現実問題でやはり言い聞かせないといけない場面はあるし、怒らないといけないときもありますよね。例えばレジの最前列で駄々をこねられたら、「やあ、君はなぜ泣いているんだい?」と悠長に構える時間はないわけで、やっぱり「こら!」と言ってしまいますよ。親としての自分を責めないよう、「怒ったんじゃなくて声のボリュームを15段階上げたんだ」と思うしかないです。
卓也:わかります。怒ることが必要な時期もあるはずですよね。ただ、大人の物差しに当てはめすぎてしまうのはよくないのかもしれません。僕は「わからせる」ことを意識しています。レジ前であれもこれもと持って来られたら、「え? なんで今それを買えると思ったの?」と考えさせます。
あばれる君:「なんで欲しいの?」じゃなくて?
卓也:はい。「誕生日でもないのにどうして買ってもらえると思った?」です。
あばれる君:怖いよ……(笑) 怒らない育児を軽々とこなしている人を見ると胸がズキズキします。インスタなんか、みんなキラキラ笑ってて、「ああ怒らない育児なんだろうな」と思うよ。

卓也:いやぁ、あれはいい部分を切り取っているだけですよ。実際は怒っていても、さすがに公開できないじゃないですか。
あばれる君:インスタと言えば、今の子どもたちはみんなタブレットの使い方を知っていますよね。授業で使うから学校でも指導されているようです。でも、唯一教わってないのかなと思うのがカメラの使い方。「撮っていいですか?」と聞く前に、もうカメラを向けちゃうんですよね。それが、先生も一緒になって撮ってたりしますから、カメラのマナーは見直したほうがいいんじゃないかな。カメラはまず確実にタブレットに付いているわけですから。俺、変な顔してるところを撮られたら嫌だもん。
卓也:そこですか(笑)。
――今後、連載で話を聞いてみたい人はいますか?
卓也:僕らがここでしゃべったことも、親や教育免許を持つ者としての理想にすぎないので、やはり一度、現役の先生に話を聞きたいですね。現場の実情を聞いて、あばれるさんの言う働き方改革についても一緒に考えてみたいです。
――最後に、先生方への激励のメッセージをお願いします。
あばれる君:人が物事をどんどん吸収できる期間も短いですから、先生方にはそうした年代の子どもと濃密に触れ合える喜びを感じてほしいですね。俺が芸能界で大物芸人や俳優に会って感動したように、先生もいろいろな生徒と出会って感動できるフレッシュさを忘れないでほしいです。子どもの成長を見られるのは先生の特権ですから。
卓也:子どもたちは大きくなっても、先生のことを忘れませんしね。生徒からすれば1年目でも立派な先生なので、新人の先生方も自信を持って自分の教育理念を貫いてほしいです。
あばれる君:先生の労働環境はもっと改善されてほしいですが、人の人生に深く関わる尊さを感じつつ、先生ならではの経験にやりがいを見いだして頑張ってほしいですね。

(企画・文:田堂友香子、撮影:今井康一)
東洋経済education × ICT編集部
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