間寛平「人に頼って甘えてきた73歳のこれから」 吉本新喜劇GM就任と今後の人生を語る【後編】

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――寛平さんはご自身がいまのポジションに行き着いた要因をどう考えていますか?

なんだかんだ出会った人ですね。不思議なんですけど、いつも人に頼っててそこからうまくいってきたから。東京に来てからの最初のマネージャーが大阪時代に縁があった若い社員だったんです。東京で再会して毎日飲みに連れていって、次第に一緒に生活するようになっていったら、仲が良いから彼に僕のマネージャーをやれって会社が言い出して。

そこから彼がテレビ出演からマラソンまで足しげく売り込みに走り回って、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)や『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)の24時間マラソンとか、いまにつながる仕事をたくさん取ってきてくれて。僕がうまくいきはじめたのは彼と一緒になってからです。

ギリシャのスパルタスロン(246キロ走)出場の企画をテレビ局に持ち込んだときは、プロデューサーから明石家さんまも出るならって言われて、さんまちゃんに相談したら、めちゃくちゃ多忙ななか「兄さんのためならいいよ」って。その番組が正月の放送で高視聴率を記録して、そのあとすぐにCMの仕事がたくさん入りました。

さんまちゃんはギリシャに2回行ってくれて、30年やってきた『寛平まつり』にも毎回必ず出演してくれていました。ふだんからいろいろな人に甘えていますけど、いちばんはさんまちゃんですね(笑)。

間寛平(はざま・かんぺい)/1949年生まれ。高知県出身。1970年、吉本新喜劇へ入団し研究生となる。花紀京の付き人をしながら1974年に吉本新喜劇の座長に昇格。「ア~メ~マ~」「アヘアへ」「かい~の」などのギャグで人気を得たのち、1989年に退団し東京進出する。2021年、芸能生活50周年+1記念ツアー「いくつになってもあまえんぼう」 を開催。2022年2月、吉本新喜劇ゼネラルマネージャーに就任。投票で出演者が決まる「吉本新喜劇まつり2022」、プロデュース公演「新喜劇出前ツアー2022」などを手がける(撮影:尾形文繁)

明石家さんまとの絆

――さんまさんとの絆はどう育んできたのですか?

昔の僕はいろいろなところで借金してて、つてがたくさんあったから頼ってきていました。あと、東京の営業のときもさんまちゃんの仕事を僕がフォローしたりしたこともあって。その頃は僕の営業の前説をやってもらったりしていました。僕がいつも「ほんとあかんで。がんばりや」って言って、さんまちゃんは「がんばります、がんばります」って。

でも、そのあとあいつがんばりすぎましたわ(笑)。完璧に追い抜いていって、いまではいつも怒られてばかり。「兄さん、ちゃんとせいよ」って言われて。そういう仲です。

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