そうだったのか!「イギリスと中国」決定的な違い 世界の国はだいたい2つの統治方に分かれる
事実、世界統合型に移行した始皇帝以後の帝国のなかで、何か理想をもった若者がどう生きていくかを想像すると、一種の無力感に包まれてしまう。その青年はまずいわゆる「科挙」(中国で行われた官吏の採用試験。ただし正式な導入は隋の時代から)の苛烈な受験戦争を突破せねばならず、何とか試験をくぐり抜けても、巨大な官僚社会で上にへつらいながら生きていかねばならない。
その巨大な圧迫感や閉塞感の下で暮らしていれば、若者の精神のなかからは、無力感とともに子どものころに描いていた夢や理想が消えていっても不思議ではない。
そして社会がそのようになるか否かに関しては、その時代の世界全体の構造が勢力均衡型か単一帝国型(=世界統合型)かが、根本的な部分で大きな影響を与えているように思われる。つまり単一帝国型の場合、権力は中央政府にしか存在しないので、その世界で何事かをなそうと思えば、その中央政府のなかに入っていって、官僚社会に組み込まれるしかない。
それに対して、世界全体が勢力均衡型ならば、自国の政府が駄目でも、どこかほかの国に渡って、そこで味方をみつけてその力に頼るということが可能であり、人々の行動の自由度は全体的に大きくなる。
いったん統合型になると勢力均衡型に戻りにくい
また、単一帝国型の社会では、人々の地域的なつながりや伝統というものも希薄化して、横同士の絆や人間関係は、利己心だけに基づく関係性に置き換わっていく傾向にある。これは中央集権化が進みすぎると必然的に起こる現象で、そうした帝国では建前上、皇帝とすべての人民1人ひとりが平等につながっていることになっていて、横同士の人と人の絆は、本質的に帝国にとっては邪魔ものである。
それに対し、たとえばイギリスに根付くジェントルマン的社会(そこでは下級貴族層がもっとも力をもっている)では、いい意味で地域的な伝統に依存する面が大きく、実際にそうした伝統などが人間の欲望を抑制して、社会の腐敗を防ぐ防壁となってきたことは否めない。
ところが、ひとたびそういう伝統や習慣が壊されてしまうと、再生させることは容易ではない。つまり、いったん単一帝国型になってしまった世界では、壊れたそのデリケートな伝統を、社会全体でバランスをとるようなかたちでうまく再建することは非常に難しく、もし末端の地域社会が利己心の関係性だけで成り立つ無責任な状態に堕していると、そこでの秩序の維持を代行するために中央権力が介入せねばならないという悪循環に陥る。
これは企業組織などでも似たようなことがみられる場合があるが、ともあれ一般的な話としても、社会は勢力均衡型には戻りにくいのである。その意味で、世界統合型の巨大帝国への移行は一種の不可逆過程なのであり、中国史における始皇帝の中国統一は、その重要度において、中国史全体を見渡してもこれを上回るものが存在しないほどの最大の転換点だったのである。
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