大磯、「海水浴」の一般化と鉄道駅開業の深い関係 山県有朋や吉田茂が邸宅を構えた海岸の別荘地

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同時期に再燃したのが「国府駅」の設置要望だった。大磯駅―二宮駅間の中間地点に開設を望む声があった駅だが、実現しないままになっていた。国府町は1954年に大磯町と合併して消滅。そうした経緯があるだけに、国府町関係者にとって国府駅の開設は悲願だった。

1966年には国府新駅設置期成会が結成。関係者たちは、住民の請願により新設された北鎌倉駅や東逗子駅を視察するなど活動を本格化させた。大磯プリンスホテル・ロングビーチが盛況だったことも追い風となった。これらは旧国府町内に所在しているからだ。しかし、関係者が精力的に働きかけたものの国府駅は実現せずに現在に至っている。

大磯プリンスホテル
国道1号から見た大磯プリンスホテル。かつての国府町内に位置する(筆者撮影)

そして、高度経済成長期が終わりを告げる頃、大磯町には新たな問題が浮上した。それまで大磯経済を支えてきた別荘がオーナーの世代交代により次々と売却される事態が起こったのだ。

「鉄道資本」が発展に寄与

富裕層の別荘は一区画が大きい。大磯町では1000平方メートル以上の開発には浄化槽・下水・配管・道路・緑地などの整備を義務付ける規制を設けていたが、開発事業者は分筆することで規制をすり抜けていく。それが地元住民との紛争の種になった。住民と事業者の争いは行政が介入することになり、開発計画は頓挫。しかし、その後も大磯の静穏な住環境を破壊する話は続発する。

1978年、大磯プリンスホテルが高層化計画を発表。これを大磯観光協会が支持した。大磯町の指導要綱では、建物は地上10mまでと規制されていたが、大磯観光協会はこれを見直すように要望書を提出。住民たちは風害・電波障害・日照権の侵害といった問題が起こるとして猛反発した。結局、プリンスホテルは10階建てから5階建てへと計画変更することで決着した。しかし、歳月とともに建物の増改築が行われ、一部の建物は高層化している。

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大磯は東海道本線の開業・駅開設によって発展を遂げた。町内には東海道本線の駅しかなく、交通アクセスという視点で見れば鉄道との関係は決して強くない。しかし、滄浪閣や吉田邸、そして大磯ロングビーチなどプリンスホテルを主体とする西武系、そして城山荘は名鉄系といった具合に、大磯は鉄道資本によってアイデンティティーを築き、育ててきた。

海浜リゾートとして人気の高い大磯だが、現在は海浜リゾート一本槍の取り組みばかりではない。大磯・湘南・小田原などに点在する邸宅および庭園を歴史的財産として再整備する邸園文化圏再生構想を掲げ、歴史遺産を活用して新しい魅力を創出する取り組みも動き始めている。

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小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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