沸騰する「#ちむどんどん反省会」批判かイジメか 真っ当な声もあるが誹謗中傷のような酷い言葉も
黒島結菜さん演じる暢子を「ちむ子」、宮沢氷魚さん演じる和彦のことを「カス彦」、片岡鶴太郎さん演じる三郎のことを「ヨガ太郎」とバカにしたような呼び方の人が多いことも、そんなごう慢さを象徴していますし、この一方的なあだ名も学校や職場のイジメとよく似ています。そんなごう慢さが前提の場で、健全な批判が行われないのは当然でしょう。
「#ちむどんどん反省会」を書き込んでいる人の中には、「これは見たあとのモヤモヤを解消するためのものだ」と正当性を主張する声もありますが、だからと言って「あれほど酷い言葉をぶつけていい」という理由にはなりません。
俳優もスタッフも生身の人間であり、自分の仕事をここまで言われて傷つかない人はいないでしょう。「自業自得だ」「自己責任だろう」などと主張する人もいますが、現在の状況はそのレベルを超えてしまった感があるのです。
ぶつけられたほうは、なかなか抜け出せない
不満をぶつけてスカッとしたから、「翌日には何を書いたのかすらはっきり覚えていない」という人も多いのではないでしょうか。しかし、それをぶつけられたほうは、厳しい言葉が心に突き刺さった状態からなかなか抜け出せません。さらにつらい状態のまま、毎日多くの人々から厳しい言葉をぶつけられ続けたら、心を病んでしまってもおかしくないのです。
俳優もスタッフも、当然ながら「ちむどんどん」だけで食べていけるほどの収入を得ているわけではなく、今後多くの仕事をしていくでしょう。だからこそ「ちむどんどん」終了後も続くようなダメージを与える言葉はやりすぎであり、健全な批判とも思えないのです。
このようなコラムを書くことで「言論の自由だ」「言葉狩りするな」と反論する人や、「自分も批判的なことを書いているくせに」と私に矛先を向けて怒る人もいるでしょう。しかし、現在の状況は、長年人々の悩み相談に乗ってきたコンサルタントとしての経験から見ても、かなり危機的なところまで進んでいます。
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