ただし、冷静に考えてみてください。この肩書なる代物、普遍的に統一された資格要件のようなものが存在するわけではありません。つまり、個々の組織が勝手にそれぞれの組織における基準に基づいて判断し、付与しているだけの話です。たとえば世の中の課長さんの権限や仕事の範囲、待遇などが一緒かというと、そうではありません。
医者や弁護士など資格が必要な肩書であってもいろいろな方がいらっしゃるわけですから、統一要件のない肩書なるもののいい加減さは、想像がつくというものでしょう。
私の学生時代には、「オレ、卒業と同時に社長をするぜっ!」「マジ、起業??何やるの?」「うーん、それがよくわかんね~けど」なんてトンチンカンなことを言っているヒトがけっこうおりました。確かに、自分で会社を作れば社長と名乗ってもいいでしょう。ただ、この自称社長が、別の組織に移った際に社長でいられる可能性は決して高くありません。
肩書きで個人の価値は左右されない
したがって、偉そうに見える肩書なる代物が通用するのは、ある特定の組織に所属している間のみ、というのが本来の姿です。転職などで、所属する組織が変われば肩書が変わって当然であり、これまた当然のようにその場合は肩書が上がる場合もあれば下がる場合もある、ということです。
転職によって肩書が上がったから、または下がったからということのみで、個々人が本来持っている能力が上がったり下がったりするものではありません。したがって、一労働者としての価値が肩書で左右されることは、必ずしもないわけです。
そもそも、肩書そのものが個々人の能力の証明となっているかというと、そんなことはありません。たとえば「支店長」というと、通常であれば、とある支店を任されている方を想像すると思いますが、何とびっくり、支店を持たない支店長だって世の中には存在するのです。実際、私がかつて大学卒業後にバイトをしていた某社では、拠点が本社ひとつしかないのに支店長が4人もいて、「なんじゃそりゃ」と思ったものです。
ちなみにこの会社は課長さんの上を勝手に支店長、と命名していたようですが、各支店長がそれぞれすぐ隣の机に座っている、という状態で下手に「支店長ぉ!」なんて呼ぶと声がいくつも返ってきて、まぁ面倒くさくて大変でした。
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