33歳がんで逝った男が投じた闘病記への重い一石 2013年に消失した痕跡が2021年に復活した理由

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奥山さんは1971年に仙台市で生まれ、山形県で育った。上京し、2年の浪人を経て日本大学芸術学部文芸学科に入学。大学を卒業すると出版社でモノ雑誌の編集に携わるようになる。最新のガジェットや音楽、映像、バイクをこよなく愛し、複数の雑誌編集部を渡り歩いた後に2001年からフリーのライター兼編集者として活動を始めた。サイトは2002年1月頃に立ち上げたとみられ、発足時から日記コーナーで日々の動静をつづっている。

2002年11月頃のTEKNIXトップページ(Internet Archiveより)

大型バイクの免許を取ったり、原稿を仕上げたその足でライブに行ったり、初めての確定申告に手を焼いたり。“碑”のリンク先(https://web.archive.org/web/20090301113447/http://www.teknix.jp/)から日記の断片をたどると、バイタリティーあふれる当時の足跡に触れられる。しかし、その年の暮れに起きた異変についてはアーカイブから抜け落ちていた。

欠落した部分はサイトの日記を編集した著書『31歳ガン漂流』で補える。

<身体を壊してしまい入院することになりました。
Underworldのライヴの帰りに汗をかいたまま、着替えずにバイクに乗って風邪をひいてしまったのですが、それを放置していたら肺炎のような症状になり、それをさらに放置していたら炎症部分から水が発生、肺に水が溜まってしまったという状態です。>
(2002 December 12・15 Sun「入院」/『31歳ガン漂流』)

2日後に目にしたCT結果の画像には胸あたりに妙な影が映っていた。年が明けて、主治医から正式に肺がんだと告げられた。ステージIIIbで、余命は2年という。そこで奥山さんは決意を固める。

<オレは文章で喰っている。
今回のようにガンにかかってしまったことすら、究極的には文章のネタとして捉えていかなければならない。
(略)
だから、このリアリティの無さも文章という形で表現するしかない。そして、それが唯一オレにできること。
オルタナティヴ・エディターとして21世紀の医療テクノロジーとガン細胞の闘い、オレ個人としての自分の肉体と病気との闘い、そしてどこにも属さない一個人がガンという病気で流されもがく姿、さまざまなレイヤーで同時に読者と共に目撃していくことになると思う。>
(2003 January 01・07 Tue「15日目・タンホイザーゲート付近にて」/『31歳ガン漂流』)

ここからTEKNIXは、オルタナティヴ(既成概念を破る新しい)な闘病サイトとして注目を集めるようになっていく。

「情けをかけられたりするのが、何よりも苦痛」

若くして生命の危機に瀕した奥山さんだが、憐れみや同情心を向けられることを何よりも嫌った。身に起きていること自体は包み隠さず文章にしたい。けれどかわいそうとは思われたくない。だから動揺や不安、恐れといった感情は極力排して筆に乗せていった。

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