フィリピン大統領の故郷に中国領事館がある理由 マルコス大統領一家の故郷・北イロコスの現在

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「ボンボン氏がマラカニアンに返り咲いて本当にうれしい。イロコスだけではなく国全体がこれから良い方向へ向かうはずだ。シニアが追放されたとき、私はマニラで勤労学生だったが、とても心が痛かった。シニアの時代は暮らしも楽だった。クリスマスには国からコメや食料品が届いた。彼らが腐敗しているなどというのは一部の政治家が作った嘘だ」と穏やかに話した。

マルコス家の生家や大統領センター、北のマラカニアンなどで多くの人々に話しかけてみた。みな一様にシニアの時代を礼賛し、ボンボン氏に投票した、期待すると話し、戒厳令時代のことを持ち出そうものなら、食って掛かる人もいた。

そんななかで唯一、「マルコスは嫌い」と話す人に出会った。裁判所の幹部職員だ。「イロコスの人たちはシニアの時代に何が本当にあったのか、歴史を直視していない。きちんと学べば無条件の支持などありえない」と語ったが、名前は出さないようくぎをさされた。裁判所にある「シニアの勾留部屋」には決して入らないといった。

地方都市に翻る五星紅旗

滞在最終日、ラワグ市内の中心部を歩いていると、大きなパラボラアンテナを抱え、赤い扉で出入り口を閉鎖した建物に行き当たった。紅い国旗、五星紅旗が翻っている。中国領事館だ。

来歴を調べると2007年に設置されていた。ボンボン氏が知事だった時代だ。フィリピンで中国政府はマニラの大使館のほか、1995年に第2の公館として中部の大都市セブに総領事館を置いたが、3カ所目の公館を人口約10万人(2007年当時)の地方都市に開設した理由は不明だ。人口178万人(2020年)を抱えるダバオ市に総領事館を置いたのは2018年。地元出身のドゥテルテ氏が大統領になってからだ。

考えられるのは、北イロコスが台湾に近く、南シナ海とバシー海峡に面しているという地政学的な理由だ。18年前の段階でマルコス家のマラカニアン復帰を見越していたとは考えられないが、シニアは中国と国交を結び、イメルダ氏やボンボン氏も訪中して、毛沢東国家主席と会談するなど深い付き合いをしていたことも開設につながった可能性がある。いずれにしろ市内唯一の外国公館であり、マルコス家と中国の結びつきを強めていることは間違いない。

新政権で国外から最も注目されるのは、中国との関係だ。その原点も地元にあるのかもしれない。

柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

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しばた・なおじ

ジャーナリスト。元朝日新聞記者(論説副主幹、アジア総局長、マニラ支局長、大阪・東京社会部デスクなどを歴任)、近畿大学教授などを経る。著書に「ルポ フィリピンの民主主義―ピープルパワー革命からの40年」、「バンコク燃ゆ タックシンと『タイ式』民主主義」。

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