源義経を陥れた「梶原景時」を源頼朝が信頼した訳 「逆櫓論争」でもわかる冷静で用意周到な実像
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送で、源氏や平氏の歴史に注目が集まっています。その13人のうちの1人、梶原景時(かじわら・かげとき)は、源義経を讒言で陥れた人物として悪名高いのですが、その実像は冷静沈着な知恵者です。歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。
平家打倒に闘志をたぎらせていた源義経
一ノ谷の戦い(1184年)で平家を破った源義経は古典『平家物語』によると、平家打倒に向けて闘志をたぎらせていた。その様子を古典『平家物語』は次のように描く。
「元暦2(1185)年1月10日、源義経は院の御所に参上。大蔵卿泰経を通して、院に次のように申し上げた。
『平家は神々に見放され、君にも見捨てられ、都を出て、波の上に漂う落人になりました。そうであるにもかかわらず、この3年の間、平家を攻め落とすことができず、いまだ多くの国を支配されていることに口惜しさを感じます。このたび、義経は、鬼界ヶ島、高麗、インド、中国まで進撃する覚悟で、平家を滅亡に追い込みたく存じます。平家を攻め滅ぼさなければ、都に帰りません』と。
頼もしげに申し上げたので、後白河法皇も喜び『夜を日についで攻めたて、勝負せよ』と仰せになった」(『平家物語』を筆者が現代語訳)
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