ひろゆき指摘「幸せになれない人」の残念な考え方 人生では、能力や環境より「大切なもの」がある
僕が充実感を感じるのは、ゲームでヒリヒリした状況になったり、ギリギリの状態で戦いに勝てたりしたときぐらいでしょうか。「仕事で充実感を得よう」「毎日を充実したものにしたい」なんて到底無理な気がします。
充実した人生とやらを追い求めている限り、満たされることはないんじゃないかなと思います。
挫折や失敗は、存在しません
成功者として見られることもありますが、僕は結構いろんなことで挫折しています。「このプログラミング言語を覚えてみよう」とか「絵を描けるようになってみよう」「楽器をやってみよう」とか、わりといろいろです。
失敗も、たくさんしました。僕のことを「2ちゃんねるの創設者」として認識している人も多いと思いますが、実は他にも多くのウェブサービスを開発してきました。なかには鳴かず飛ばずで、今となっては誰も覚えていないであろうサービスもあります。むしろ、失敗したもののほうが多いくらいです。
ただ、これらの経験は「挫折や失敗をしたことはあるか?」と聞かれて、改めて思い返してみたときに「言われてみれば、あるかもね」と思う程度です。
自分の中で、つらい出来事ではまったくありません。ネガティブなものとして捉えていないのだから、挫折や失敗は「存在しない」と言うこともできます。
それに、たとえばサービス開発で失敗したら「これだと、うまくいかない」とわかるだけでもひとつの成果ですし、「じゃあ、こうすればどうだろう」と次の改善策を講ずることもできます。その結果、成功したサービスもあります。
結果として、うまくいったものだけが世間の記憶に残ります。
みなさんが記憶しているのは、うまくいったサービスのほうだけです。周りの目や記憶は意外とそんなもの、ということですね。
なので、失敗とか挫折とか自分からラベルを貼る必要はないし、貼らないほうがいいと思います。何をもって失敗とするか、何をもって挫折とするかは、その人それぞれですし、自分が挫折と思わなければ、それは挫折ではありませんから。
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