大久保からすれば、計算どおりの展開だ。岩倉使節団が帰国するまで、夏季休暇をとり、身を潜めていたのも、このタイミングを待っていたからこそ。いよいよ、反転攻勢である。参議に就任すれば、留守内閣で好き放題に改革した江藤新平とも存分に戦えるし、西郷の暴走も止められる。
断る理由はないようにみえたが、大久保は参議を引き受けるかどうか、逡巡している。西郷と対立したくはなかったからだ。
もちろん、これまでも西郷を説得する役は、何度となく引き受けてきた。だが、それは、腰の重い西郷を立ち上がらせるための説得である。今回は、突き進む西郷を止めなければならず、衝突は避けられない。
「いったい、なぜ、朝鮮にこだわるのか。何もわかっていない……」
大久保はそう苦悩したことだろう。だが、西郷もまた行き場のないやるせなさを抱えていたのではないか。
「いったい、なぜ、朝鮮に行かせてくれないのか。何もわかっていない……」
廃藩置県を断行して以来、主を失った薩摩藩士たちの姿や、「明治政府に裏切られた」と怒気をあらわにする島津久光の顔が、西郷の頭にはつねに浮かんでいたことだろう。
島津久光のわがままが想像以上のストレスに
西郷がいかに大変な目に遭っていたのか。海外にいた大久保が想像する以上のストレスがそこには待ち受けていた。
大久保が逃げるように海外に出かけたあと、久光の怒りの矛先は、留守政府のトップである西郷に向けられることとなった。
廃藩置県を契機に、久光は参事など県の役人たちとの面会を拒み続けた。そうかと思えば、明治4(1871)年12月には、参事たちを呼びつけて「鹿児島県令に就任させてほしい」などと言い出した。これを認めてしまえば、旧藩主たちがこぞって県令にスライドすることになる。中央集権化を目指した廃藩置県の意味はまるでなくなってしまう。
西郷は苦悩しながらも、久光の申し出を退けるように、三条に働きかけることになる。だが、西郷だけではなく中央政府にとっても、久光はやっかいな存在だった。廃藩置県によって、旧藩主は東京に住むことになっていたが、久光はこれを無視。病気を理由に鹿児島にとどまり続けたのだ。
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