世界の英語は「母語なまり」、堂々と話すのが一番 世界の95%の人にとって、英語は母語ではない
「ただいま」と「おかりなさい」では、一往復のやりとりで終わってしまうかもしれないけれど、「今日はどうだった?」と聞けば、会話が続く。
「会話が続いても、困るだ」
そう言いながらも叔父は、電話口で何度も練習していた。
「ハーイ、ハウ・ワズ・ユア・デイ? ディドゥ・ユー・ハヴ・ア・グッド・デイ?」
考えてみれば、日本語の「おかえりなさい」はなんとすばらしい言葉なのだろう。
遠い異国で見知らぬ人の家に泊まり、戻ってくれば、そう迎えられる。まるでその家族の一員のように。最高のおもてなしだ。
真のジャパニーズ・イングリッシュ
今から十数年前のある夏、私が高校留学したウィスコンシン州の小さな町に、何年かぶりに戻った時のことだ。車でホストファミリーの家に向かうと、家の前にダッド、隣に住んでいたメアリージョー、そして彼女の家族が立っていた。
私の帰りを、わざわざ外で待っていてくれたのだ。メアリージョーの父親が私を抱きしめてほおずりし、言った。
おかえり、ミッツ。
ここは君の故郷だ。よく戻ってきた、おかえり。そんな思いがこもっている。
私は、山梨の叔父に伝えた。
「Welcome home. と言ってあげて」
「ほうけぇ。ウェルカム・ホーム。ウェルカム・ホーム」
叔父は電話の向こうで、そう何度も練習した。
日本のわが家にメアリージョーの弟が初めて泊まった時、私は同じ言葉で彼を迎えた。Welcome home.──。わが家に帰ってきた人を、家族でもそうでなくても、日本ではそう言って迎え入れるのだと、伝えた。
同じ状況でそう言われたら、どう感じるか。何人かのアメリカ人に聞いてみた。
答えは皆、同じだった。
That is so nice. なんてすてきなんだ。
誰もが、日本の文化を理解し、日本の心を、きちんと受けとめてくれた。
日本人である私たちが、とくに日本という文化のなかで、日本人として想いを込めて話す英語は、ネイティブにもそうでない国の人にもまねできない。
それこそ伝統と深みのある、真のジャパニーズ・イングリッシュだ。
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