姫野さんはまず、地元の飲み屋街の店で働き始め、そこで2~3年ほどキャリアを積み、19歳の時には指名客を引き連れて、大阪屈指の繁華街の店へ。なお、姫野さんが働いていたのはいわゆるキャバクラとは違う「クラブ」だ。
指名制のキャバクラは、頻繁に指名を変えることが可能で、お金さえ払えば女の子を複数名でも指名することもできる。一方、“口座制”のクラブでは、一度指名すると基本的には変えられない。ゆえに、ヘルプにつくことから始まり、同伴(店に入る前に買い物や食事などを一緒にすること)を重ねて、もともと口座だった女性が引退したり、他店に移籍する段階で口座を受け継ぐ……簡単にいえば、そんなスタイルらしい。
「当時よく店に来ていた羽振りの良いお客さんたちは、大阪という土地柄もあり、中小企業の社長が多かったですね。あとは、地元のプロ野球球団の選手やその関係者もよく来ていました」
そうして、がむしゃらに頑張った姫野さんは、いつしか店のNo.1ホステスとなり、確かな地位を築いていく。
当然のことながら、水商売の世界で誰もが夢見る“No.1”の座につくことは容易なことではなく、日々の仕事のほか、休日には客とゴルフに行き、誕生日には手紙を書き、プレゼントも贈り、時には会社を訪問することなどもあり……姫野さんはプレイヤーだった当時を思い返しながら、「すごい努力やったと思います」と、つぶやいていた。
年収3000万円になるが、泥棒の被害に…
その後も弛まぬ努力を重ね、No.1ホステスとして結果を出し続けた姫野さんは、店側からの打診を受けるかたちで雇われママ……いわゆる“チーママ”となった。
「ママになると、給料体系が変わるんです。それまで日給だったものが、“自分の口座のお客さんがいくら使ったらそこから何%”という契約になる。だから、ナンバーワンだった頃は年収2000万円弱くらいだったけど、ママになってからは3000万円くらいあったと思います」
なんとも夢のある話だが、使えるお金が増えたわけではなかったようだ。
「ママになって給料は上がったけれど、その分出ていくお金も大きいから、逆に儲からないんです。お客さんだけでなく、従業員の女の子の機嫌も取らないといけませんからね。ご飯に連れて行ったり、誕生日にはプレゼントをあげたり。
でもそれも仕方ないんですよね。そもそも、女性として良い期間ってなんぼもなくて、誰であっても老いには勝てないわけですから。だから、売上を上げて、No.1になったら、ママになっていく人が多いんです。
お店には大学生の子もたくさんいたけど、べっぴんさんで、4~5万円くらいの高い日給を貰って、短期間でパッと上がる……そういう子が、結局一番美味しかったんやないかなって今なら思いますね」
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