「当時、年頃だった私は、コスメやかわいい服、美容室にも行きたい……と、欲しい物がたくさんありました。でも、家は貧乏やったので、子供ながらに『欲しい物を親にねだる』ことができなかったんですね。
でも、高校生になり、友人に誘われる形でアルバイトを始めると、お金を稼げる楽しさに魅了されていきました。当時の日本はまだバブル好景気の最中で、とにかく仕事に溢れていて。今みたいに履歴書が必要やったり、年齢を厳しく調べられることもなくて、『じゃあ今日から働いて』と、高校生でも仕事ができる、おおらかな時代やったんです。
当時は18、19歳くらいの子が、喜平のネックレスやクラッチバッグを持って、ベンツとかに乗っていました。そういうのを見て、かっこいいなと憧れていたわけです」
姫野さんが最初にしたアルバイトは、商業施設内でソフトクリームやお好み焼きを販売する売店の仕事だった。しかし、自分で稼いだお金で欲しい物が買える喜びや、働く楽しさを知っていくうちに、より高い時給を求めるようになり、やがて、24時間営業の喫茶店での仕事を見つける。
「夜働くと、めちゃくちゃ給料がいいことを知ったんですね。高校生が夜中に働くことも、今のように咎められない時代でもありました」
もともと、勉強が好きなほうではなかった姫野さんは、次第に学校へ行くより働くほうが楽しいとも感じはじめ、2年生に進級する前に高校中退を決意。この時すでに母親は他界していたほか、父親も教育には無関心だったが、姫野さんの高校中退を「全力で反対してくれた」というのが、9歳年上の姉だったという。
「将来を心配した姉から、美容学校への進学を勧められて、行くことにしたんです。でも、もともと肌が弱くて、パーマ液やカラー剤、毎日のシャンプー練習などで皮膚が酷く荒れてしまって……」
結果、この美容学校も半年ほどで辞めざるを得ない状況に。フリーターとなった姫野さんは、より給料の良い夜の仕事、いわゆる「水商売」の世界へと足を踏み入れていく。
バブル崩壊後も元気だった夜の世界へ
美容学校を中退した頃、姫野さんはまだ16~17歳という年齢。現在では考えられないことだが、バブル好景気の浮かれた空気を引きずった当時の日本では、姫野さんが未成年であると知りながらも、多くの店から“スカウト”があったという。
「狭い地域なので、すぐスカウトされるわけです。『その店辞めてこっちに来ない?』と。その度に給料が上がりました。18歳未満であるとわかっていても、何かを書かされるわけでもなく、給料も手渡しでしたし」
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