酒に酔い「警察に保護」迎えに来た臨月の妻の一言 39歳で二度も警察に保護された男性のその後

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「お酒で最も大きいトラブルは、警察のお世話になったことでしょうか。ちょうど子どもが生まれる直前の時期で、臨月の妻が警察へ迎えに来た姿を見たときは、情けなくて申し訳なくて……」と、大輔さんの表情が曇りました。

群馬県まで年末恒例のゴルフに出かけ、お酒を飲みながらラウンドし、荷物は友だちに預けたまま、手ぶらで東京行きの帰りの電車に乗り込んだ途端に意識を消失。気づいたときはなぜか栃木県だったと言います。

「そのまま警察に保護されました。迎えに来た妻は『もうすぐ子どもが生まれるのに、何やってるの? もう我慢の限界!』と激怒。『このクリニックで診てもらいなさい!』と指示されたのが、さくらの木クリニック秋葉原です。いきなりの断酒は無理なことが、妻にはわかっていたのでしょう。インターネット検索でヒットした『減酒治療』というワードがしっくりきたのではないかと思います。

しかしこのときはまだ、深刻にとらえていませんでした。これまでを振り返っても、ブラックアウトはあるけれど、物をなくすような実害がほとんどなかったからです。正直、『受診するほどじゃない』と思ったのですが、妻の怒りを鎮めるのに、ほかの選択肢はありませんでした」

意識がなくなるまで飲んだ大学時代。お酒に鍛えられた

このときはまだ、お酒の問題を重くとらえきれていなかった大輔さん。今まで、どのような飲み方をしてきたのでしょう。

「お酒を飲み始めたきっかけは、大学のサークルでの飲み会です。アウトドアと少林寺拳法の2つのサークルに所属していました。どちらも『大量に飲むことが正義』といった風潮がありました。ブラックアウトもしましたが、仲間とワイワイ過ごし、どこまで飲めるかスリルを楽しんだりして、まったく苦になりませんでした。この時期、お酒に対する耐性がそうとうできた気がします」

卒業後、入社した会社も部署問わず飲み会が週1〜2回は必ずあり、頻度は減ったものの、限界まで飲むペースは変わりませんでした。

「ビールジョッキ15杯くらいは軽くいきました。もしくはワイン2〜3本という日があったり、ウイスキーをストレートで一気飲みするなど、無茶な飲み方をしていましたね」

「お酒を飲むと心が解放される気分になるうえ、みんなの気持ちがハイになる飲み会の雰囲気が好きなんです」と大輔さんは話します。とはいえ、ひと晩でこれほど大量に飲んでいるため、お酒での失敗は数多く経験しています。

「電車で寝過ごして終点まで行き、漫画喫茶で一夜を明かすことが月2〜3回ありました。警察にお世話になったのは2回くらい。一度目は32歳のころ、深夜に道端で寝てしまい、警察に保護されて妻に迎えに来てもらいました。二度目は、冒頭で話した年末ゴルフのときです」

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