出井伸之氏が「今のソニー」に残した置き土産 デジタルシフトを予見も「あまりにも早すぎた」

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出井氏は、在任中の業績だけでは測れない功績を、ソニーに残したといえる。写真は2021年3月撮影(撮影:尾形文繁)

ソニー(現ソニーグループ)元会長兼グループCEOの出井伸之氏が、肝不全のため6月2日に死去した。84歳だった。

ミュージシャンのYOSHIKI氏が、出井氏の死を悼んだ(写真:Twitter投稿のスクリーンショット)

「ソニーの元CEOの出井さんが亡くなってしまった。悲しい…素晴らしい人だった。 親友だった。安らかにお眠りください」

ツイッターで「親友」を悼んだのはミュージシャンのYOSHIKI氏。出井氏がソニーを離れた後、ワイン会で2人は出会った。ソニーについて書かれた書籍を手にしたYOSHIKI氏がサインを求めてきたことから、交流が始まった。

「出井さんはAstar (当時はPlasm)のメンバーが3人だった時に、僕らに投資をしてくれた恩人だった。(中略)世界でSONYレベルの結果を出すことで恩返ししたい」

こうツイートしたのは独自ブロックチェーン「Astarネットワーク」を開発する20代の渡辺創太氏。インターネットの秩序を大きく変えようとしている「ウェブ3.0」の分野において、日本を代表する起業家として注目を集めている。

幅広い分野や年齢の人々から慕われた

出井氏は1995年にソニーの社長に就任した。2000年から2005年にかけては、会長兼グループCEOとしてソニーの指揮を執った。退任後の2006年にはベンチャー企業の支援などを手がける会社・クオンタムリープを設立し、後進の育成に力を注いだ。

いち企業人の範疇にとどまらない出井氏の精力的な活動ぶりは、その死を惜しむ声からもよくわかる。幅広い分野や年齢の人々から慕われていたこともうかがえる。

出井氏がソニーを率いた1990年代後半から2000年代前半といえば、日本ではバブル崩壊後の経済停滞期に当たる。グローバル化とともに、製造業では水平分業が進んだ。さらに価格競争力のあるサムスンなどの韓国メーカーが台頭したことで、日本の電機産業は徐々に優位性を失っていった。

ソニーの製品にとってもゲームチェンジが起きた。

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