出井伸之氏が「今のソニー」に残した置き土産 デジタルシフトを予見も「あまりにも早すぎた」

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映像記録メディアはビデオテープからDVDへ、テレビはブラウン管からプラズマ、液晶へと進化していった。音楽プレーヤーでは、アメリカのアップルコンピューター(現アップル)が2001年に「iPod」を発売し、ソニーの「ウォークマン」からシェアを奪っていった。

「ものづくり日本」が曲がり角を迎える時代に、ソニーの舵を取ったのが出井氏だった。

「プレステを育てたのは出井氏だ」。そう語るのは長内厚・早稲田大学大学院経営管理研究科教授。1997年にソニーに入社し、2007年まで主に商品開発を手がけた。

ゲーム機「プレイステーション」のビジネスを始めたのは前任の大賀典雄社長だが、大賀氏のもとで動き、その後事業を軌道に乗せたのは出井氏だった。ゲーム事業子会社をソニーとソニー・ミュージックの合弁にし、ゲームソフトの流通・販売ではソニー・ミュージックで培われたエンタメビジネスの知見を生かした。

先見の明がありすぎた出井氏

1990年代は、それまで軍用技術だったインターネットが一般家庭向けに活用され始めた時期でもある。出井氏はアメリカへの視察などでその社会への影響力の大きさを予見し、社長就任前からデジタル・シフトを唱えていた。

動画を撮影してワイヤレスでPCに転送できる「ネットワークハンディカム」など、現在の情報技術を先取りした商品を開発・販売したが、これらの製品は「あまりにも早すぎた」(長内教授)。携帯電話でホームページを閲覧するのがやっとだった2000年前後においては、消費者に広く支持されることはなかった。

デジタル技術の進展を受け、出井氏はAV機器をネットワークでつなぎ、音楽や映画など自社のコンテンツ資産(ソフト)と連携させることを目指した。今でこそ、アメリカのGAFAなどのIT企業がハードとソフトを融合するビジネスで成功を収めているが、今から25年前のソニーでそれを具現化するのは難しかった。

産業構造の大きな転換を見抜いた出井氏が打ち出した方向性は、今になってみれば正しかったと理解できる。ただ、描いたビジョンを会社全体に浸透させ、具現化することは苦手だった。結果、思うような成果は上げられなかった。

社長だった1996年度から2000年度の平均営業利益は約3400億円だったが、会長兼グループCEOとなった2001年度から2005年度は約1500億円に後退した。掲げた青写真の壮大さに比して、結果が伴わなかったことが、出井評が毀誉褒貶相半ばするゆえんだ。

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