第一次世界大戦の遠因もロシアの南下政策だった 「スラブ民族の保護者」を自称するロシアのエゴ

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1840年に第2回ロンドン会議が開かれました。この会議はエジプト・トルコ戦争の講和会議でした。主要参加国は連合王国、ロシア、オーストリア、プロイセンです。

古代以来、ローマ帝国を支え、続いてオスマン朝を支えてきたエジプトの総督となったムハンマド・アリーは、軍事的協力の代償として、オスマン朝支配下のシリアの行政権を要求しましたが、オスマン朝はギリシャの独立後、エジプトの要求に回答しませんでした。

このことが原因となって宗主国オスマン朝とエジプトの関係は険悪となり、ついに交戦状態に入ります。両国の戦争に連合王国、ロシア、オーストリア、プロイセンが介入し、エジプトを押さえました。そして1840年に開催されたロンドン会議で、エジプトのシリアに対する領土的野心は封じられました。その代償としてムハンマド・アリーの一族は、エジプトの支配者となることを保証されました。ムハンマド・アリー朝の誕生です。こうしてエジプトは独立しましたが、その実態は連合王国の植民地に近いものでした。

ロシアはオスマン朝の解体をもくろむ

1840年からのロンドン会議における主要国の思惑は、新たな新興国エジプトの登場を阻止することと、オスマン朝という老いた豊かな大国を、生かさず殺さず存続させることを目的としたものでした。倒れかかった巨象を数頭の獅子が仲良く餌食(えじき)にしよう、という理屈です。どこか一国がひとり占めにしようとすれば、新たな火種となるからです。

しかし列強の中でただ一国、ロシアだけはオスマン朝の解体を視野に入れていました。その中心人物はロシア皇帝ニコライ一世です(在位1825―1855)。彼は強権的な専制君主でしたが、同時にロシア皇帝が東方教会の守護者であるという意識を強く抱いており、そのことを大いに誇りとしていました。

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