性的マイノリティと共に生きる、新宿の牧師 毎週日曜日は、会議室が教会に早変わり

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「教会の中心的な営みは、日曜の午前中、つまり週の最初に、苦しい人、悲しい人、疲れた人が集まり、牧師は神から預かった言葉を取り次ぎ、聖書の話をすることで、彼や彼女たちを癒して、人々を再び世界に派遣することです。信徒の生活すべてにかかわり、聖書のことばにあるように『共に喜び、共に泣く』。とても大変ですが、とてもうれしい仕事です」

私生活もライフワークも仕事も、自分らしいあり方を見つけて、穏やかに暮らしているように見える中村さん。だが、今のように自然に生きられるようになったのは、ごく最近のことだった。

物心ついた頃から小学校3~4年生までは、「自分を女性だと思っていました」と振り返る。確かに、当時の写真は可愛らしく、こういう中性的な男の子っているなあと思う。

「オトコオンナ」といじめられたこともあった。小学校の担任からは「女の子とばかり遊んでいて、言葉づかいも男らしくない。私立の男子校に行ったほうがいいのでは」と勧められたこともあった。その後、中学校に入学し詰め襟の制服を着たことで、「男性である自分」を自然に受け入れていくことができた。そして高校生の頃には、自分の性的指向に気づいていた。

父親は高校生のときに亡くなった。ひとりっ子だった中村さんが、牧師になるための勉強を始めた2000年ごろ、母は末期がんだった。「天涯孤独になるかもしれない」と思い始めていたとき、パートナーのAさんと出会った。仕事と勉強で忙しい中村さんに代わって、Aさんが母を看てくれたこともあった。両親に同性愛者であることをはっきり伝えてはいなかったが、病床で母は、Aさんに「この子をよろしくお願いします」と話していたという。

2002年4月に母を亡くしたことで、中村さんは「いろいろなことが吹っ切れました」と言う。親に心配をかけずに済む。ずっと、ひとりっ子だから親より先に死ねないと思ってきたし、自分のことで、親が他人から批判されるおそれも、なくなった。その2年後に、新宿コミュニティー教会を開設した。

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