政界も巻き込んだ、日本の鉄道「線路の幅」大論争 「狭軌」か「広軌」か、新幹線実現に至る道のり
1872年10月14日の新橋駅(後の汐留駅)―横浜駅(現・桜木町駅)間の鉄道開業から、今年で150年目を迎える。今日、世界有数の鉄道大国となった我が国の鉄道史を振り返ると、その発展の過程ではさまざまな問題に直面してきたことがわかる。
その1つに軌間(レールの間の幅)の問題がある。鉄道黎明期から東海道新幹線が建設された昭和30年代に至るまで、時には政界をも巻き込んでの大論争が繰り広げられたのである。
日本の鉄道が「狭軌」で開業した理由
現在の日本の鉄道の軌間は、旧国鉄(現・JR)在来線は1067mmを採用しており、この規格は一般に狭軌と呼ばれている。欧米諸国の多くの鉄道ではこれより広い1435mm軌間を採用しており、これが国際標準軌(日本ではこの規格を広軌と呼ぶことが多い。本稿では以下、広軌とする)とされているからだ。我が国でも新幹線や京浜急行、近鉄(一部路線を除く)、阪急など一部私鉄が広軌を採用しているものの、全体から見れば少数派である。
なぜ、日本で狭軌が主流になったのかといえば、最初の鉄道の建設に当たってはイギリスに資金調達と技術指導を仰いでおり、同国が海外植民地に敷設した鉄道の多くが1067mmだったためだ。
当時のイギリス人の感覚からすれば、アジアの新興国に本国並みの鉄道が必要だと思わなかったのは当然だし、急峻な地形の多い我が国では狭軌鉄道のほうが敷設しやすく、工費も節約できるメリットがあった。何よりも大隈重信ら、鉄道建設に当たった日本側の責任者が、輸送力に優れた広軌鉄道の有利性を充分に理解していなかったのである。
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