「愛国心やナショナリズムは危険だ」という大誤解 ウクライナ問題で露呈、「大人の道徳」なき日本

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主体性を持った「大人の国家」とは何かについて考えます(写真:photosvit/PIXTA)
ロシアによるウクライナ侵攻に伴う混迷は、深まる一方だ。グローバル化が進んでいたはずの世界はかつての冷戦期さながらに色分けされ、互いの「不正義」を糾弾し合う。そのような中、欧米諸国と歩調を合わせるばかりの日本の対処方針は、過去の有事で繰り返された泥縄そのもので、戦後70年を超えても、国家として主体性を持つ「大人」になり切れていないのではないか。こうした現状を打破するには、どのような思考が必要か――。『大人の道徳: 西洋近代思想を問い直す』著者の古川雄嗣氏と、中国思想・日本思想研究者の大場一央氏がオンラインで対談した。両氏の熱い議論の第1回(全2回)をお届けする。

帝国主義 vs ナショナリズム

古川:今回のウクライナ戦争に関する報道をみていて、私は主に2つのことを感じています。

1つは、あえてナイーヴな言い方をしますが、祖国防衛のために戦うウクライナ市民の勇敢さに感じ入ったところがあります。もちろん、その裏にはロシア軍による「虐殺」として報じられている悲惨な状況もありますが、それについてはあとで触れます。

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ともかくも、ロシアの侵攻に対して丸腰の市民でさえ立ち向かおうとする姿には、先に出版した『大人の道徳―西洋近代思想を問い直す』でも強調した、いわゆる共和主義的精神の発露をみるような思いがしています。

ここでいう共和主義というのは、「公の事柄(レス・プブリカ)」に対する市民の積極的な参加を重視する考え方で、そこには「共和国(リパブリック)」の自由と独立を守るために、市民は時として武器をとって戦わなければならない、ということも含まれます。これは戦後の日本にもっとも欠けている考え方だと思います。

あともう1つは、今回の戦争は、おおまかにいえば帝国主義とナショナリズムの戦いであるということです。ナショナリズムをどうとらえるかということも、日本人は問い直されていると思います。

大場:『大人の道徳』で提示された議論に引き付ければ、この問題は異なる歴史意識・世界観の戦いと言えるでしょう。中国思想史で「帝国」を定義する場合、民族や地域共同体などで培われた、固有の感覚や常識を超越するイデオロギーを提示し、それを破壊する存在、と考えられます。そうした意味で、帝国は地域に根ざすナショナリズムと対立関係になりますね。

それをロシアに当てはめれば、ウクライナだけでなく、ソ連時代のフィンランドやポーランド、アフガニスタンへの侵攻など、「共産主義」「スラブ」「ロシア」などの観念を覆い被せて、固有の価値観を破壊、吸収しようと振る舞う帝国としての性格を持つことは明らかです。

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