「西側のマスメディアが戦争をでっち上げている」「アメリカ(CIA)が真の黒幕で、すべてをコントロールしている」「ウクライナ危機は国際金融資本によって仕組まれた」――これらはホーフスタッターのいう「誰かの意思の結果」として「決定的な出来事」を捉えようとする傾向の産物であり、数多の偶然に左右される複雑な因果関係を無視して、陰謀家を最大級の過大評価によって描写する過ちである。まるでわたしたちが現実と呼んでいるものは陰謀家がこしらえたスクリーンに映った創作物にすぎず、それを剥ぎ取ると世にも恐ろしい計画が進行していたというような……。
しかも、今日の人権感覚から著しく逸脱した残虐行為の数々は、非現実的な物語を受け入れやすくする精神状態をもたらす。ジャーナリストの安田純平氏は最近、「今後、ロシア軍に拘束されたウクライナ兵が『街を破壊したのはウクライナ軍』と言わされる映像が流されるかもしれない」とツイート。「拘束されている人間が話す内容を自分で自由に決められるわけがない、ということがわからない人がメディア内も含めて大量にいる。その人たちがあっさり引っかかるのはまず間違いない」と、虚偽の情報が安易にシェアされる恐れが高まっていることに注意を促した。
社会不安と被害妄想から陰謀論的な思考に傾倒
前出のシンガーとブルッキングがいみじくも述べているように、「オンラインの情報そのものが兵器であり、一部の現実を解体して代わりに別のものを構築するのに使われるということ」(前掲書)が脅威の本質なのである。
コロナ禍以降、社会不安と被害妄想から陰謀論的な思考に傾倒する人々が増加している。「世界が誰かの意思によってコントロールされている」という感受性の蔓延は、見方を変えれば「陰謀家は必ずや特定できるという万能理論」の浸透でもある。
筆者は、1980年代末に公開されたカルトSF映画『ゼイリブ』(地球を侵略しているエイリアンの隠されたメッセージや、人間を装ったエイリアンの姿を透視できる特殊なサングラスが登場する)にちなんで「ゼイリブシンドローム」と呼んでいるが、ソーシャルメディアを覆う大量のディスインフォメーションが「真実を透視できる特殊なサングラス」として受容されやすい状況は、地球規模の格差や不平等へのフラストレーション、国家やエリートに対する不信や反感といった心理的な要素と決して無関係ではない。
個人のキャパシティーを超える不可視のリスク、それに伴う感情の目詰まりを一挙に取り除いて、視界を鮮明にするための積極的な防衛機制ともいえる。つまり、自分自身が作り上げているスクリーンにこそ、まず目を向ける必要があるのだ。
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