日露戦争は20世紀初の大国間戦争だった。日本の勝因は鉄道をうまく利用できたことにある。
日露戦争(1904~05年)は明治期の日本が朝鮮半島と満州(中国東北部)の支配権をめぐってロシアと激突した大戦であるが、そのうちの陸上の戦いは、旅順をめぐる戦闘を除けばほとんど鉄道沿線でなされた。
これは数万の兵員と物資を速やかに移送する手段として船と鉄道しかなかった時代の戦争だからである。戦場は日本に近く、日本軍は船と鉄道と徒歩によって戦地に赴いたが、主要部分が欧州に位置するロシアは鉄道を利用して軍を極東に送らざるをえなかった。
ところが、それほど本質的な意味を有した鉄道輸送の問題は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』では断片的に触れられる程度で済まされている。この点、陸軍将校の谷壽夫(ひさお)による『機密日露戦史』では、兵站(へいたん)を論じた章の中で「鉄道を有せざりし戦役初期の兵站業務は至るところ困難を感ぜざることなかりき」といった具合に、日本軍が逢着(ほうちゃく)した問題を個別に書き上げている。しかしこうした取り扱いでは、鉄道が持った意味を全体的に捉えることはできない。
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