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明治維新、「平和な革命」はなぜ実現したのか 危機に備えた指導者たち

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比較革命史で見ると明治維新の死者は極めて少ない。「公論」で政治は決められた。

五箇条誓文の「万機公論に決すべし」は、新政府のあり方を決めた(『五箇條御誓文』 乾南陽 聖徳記念絵画館蔵)

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いま、われわれが明治維新からくみ取るべきものには何があるだろうか。人により違うはずだが、私には長期的危機を予測し、その対応に成功したこと、また変革により払った犠牲が近代諸革命の中でかなり少なかったことのように思われる。

長期的危機の予測とは何か。江戸時代後期、18世紀末の政治指導者や知識人は、西洋が日本近辺に進出してきたとき、どう対処すべきかを考え始めた。ペリーに率いられた米艦隊が日本に現れる、およそ60年前のことである。

始めた最初の人は、寛政改革を主導した松平定信である。彼は西洋の世界進出を長期的な問題と認識し、その対策の基礎を築いた。1792年に最初のロシア使節が渡来する直前、外交政策に関して、「鎖国、避戦、海防」の3次元を立てて再編成した。

200年近く続いた鎖国の維持を基本目標とし、そのために西洋との紛争は拡大を回避するよう留意し、かつ紛争拡大に備えて海岸の防備にも着手したのである。彼の退任後、北方でロシアとの衝突が生じたとき、それが生きた。これが無事収拾された後、徳川の内部では地球の裏側の国と戦争が起きるはずがないとの観測が広がり、危機意識はいったん緩和した。

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