近世から続く三井、住友と違い、三菱は明治に入ってからの創業。岩崎家4代が経営を担い、戦前には国内最有力の財閥に成長した。土佐藩の貿易を請け負っていた一海運業者は、いかに企業を大きくしたのか。財閥史研究の第一人者、武田晴人氏が三菱の歴史を解き明かす。
三菱財閥の創業者として知られる岩崎彌太郎だが、実は実業界への進出にあまり乗り気ではなかった。明治新政府に出仕したいという願望が強かったのだ。
旧土佐藩の有力者、後藤象二郎へ「東京へ呼んでくれ」と何度手紙を書いても、聞き入れられない。周囲の勧めもあって、やっと実業の道に入ることを決める。それが1872年につくった「三川(みつかわ)商会」だ。これが民間企業としての三菱グループの創業といえるだろう。
三菱グループは彌太郎が九十九(つくも)商会を設立した70年を創業年と位置づけているが、学術的に見ると疑問である。九十九商会は土佐藩で貿易担当の役人だった彌太郎が、明治政府から藩営の商売を禁じられた藩の代わりに、ダミーとして設立した会社だった。
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