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経済史家が語る“三菱"発展の真実 誌上講義|東京大学名誉教授 武田晴人

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たけだ・はるひと 1949年東京都生まれ。79年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学(経済学博士)。現在、東京大学名誉教授。『財閥の時代』『岩崎弥太郎』『岩崎小彌太』など著書多数。(撮影:ヒダキトモコ)

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近世から続く三井、住友と違い、三菱は明治に入ってからの創業。岩崎家4代が経営を担い、戦前には国内最有力の財閥に成長した。土佐藩の貿易を請け負っていた一海運業者は、いかに企業を大きくしたのか。財閥史研究の第一人者、武田晴人氏が三菱の歴史を解き明かす。

三菱財閥の創業者として知られる岩崎彌太郎だが、実は実業界への進出にあまり乗り気ではなかった。明治新政府に出仕したいという願望が強かったのだ。

旧土佐藩の有力者、後藤象二郎へ「東京へ呼んでくれ」と何度手紙を書いても、聞き入れられない。周囲の勧めもあって、やっと実業の道に入ることを決める。それが1872年につくった「三川(みつかわ)商会」だ。これが民間企業としての三菱グループの創業といえるだろう。

三菱グループは彌太郎が九十九(つくも)商会を設立した70年を創業年と位置づけているが、学術的に見ると疑問である。九十九商会は土佐藩で貿易担当の役人だった彌太郎が、明治政府から藩営の商売を禁じられた藩の代わりに、ダミーとして設立した会社だった。

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