有名なあの観光地も、美術館も、ホテルも、実は三菱ゆかりの場所だった──。
六義園
徳川綱吉の側用人、柳沢吉保が造営した庭園を、明治時代に彌太郎が購入。彌太郎は「事業に悩んだ際は、立派な庭園を見に行けば気が晴れる。ほかに特段趣味はないが、これが唯一の趣味である」と語った。1885年、胃がんを患い庭園内の別邸で死去した(東京都・文京区)
東洋文庫
久彌が中華民国総督府顧問だったモリソンの蔵書を購入。一般向けに美術館も併設。理事長は元商事社長の槇原稔氏(東京都・文京区)
三菱経済研究所(旧彦彌太邸)
岩崎の本家筋、茅町本邸に隣接する彦彌太(彌太郎の孫)邸跡地。三菱創業来の資料を保管。所蔵資料の展示も(東京都・文京区)
旧岩崎邸庭園
久彌が暮らした岩崎家本家の邸宅。1896年竣工。鹿鳴館やニコライ堂を手がけ、三菱ともゆかりの深いジョサイア・コンドルが設計した。当初は1万5000坪の敷地に20棟以上の建物があったが、今は一部が残るのみ。一般向けに公開されている(東京都・台東区)
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