1960年5月に池田大作氏が32歳の若さで第3代会長に就任すると、創価学会は次々と外郭企業を設立していった。そんな中、67年6月に各社の代表を集めて方針を話し合う社長会(別名・金剛会)が始まる。各社の持ち回りで、ほぼ毎月の開催だった。
その議事録によると、築地の料亭にて行われた第1回で池田氏はこう抱負を述べている。「広布の闘いで、政党、学校、文化、民音等も出来た。最後に残ったのは経済だ。これからこの社長会を中心に経済革命をする」──。当時の三菱銀行の頭取からはすしやデザートの差し入れが届けられたという。
ウラン成金を喜ぶ池田氏
池田氏は学会外部にも資金獲得の場を求める財閥を夢見た。石油・石炭、保険、モノレールから美容院、ラーメン店に至るまで大小さまざまな事業アイデアが飛び出た。ただ、進め方はあくまで隠密裏。池田氏は「学会の外郭は……小さいのを沢山つくって、気がついた時には網が張られていたと云う様に成功させたいな」と語っていた。
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