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▶▶証言4 土地バブルの起点 エス・サイエンス会長 品田守敏

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エス・サイエンス会長 品田守敏
しなだ・もりとし●1940年生まれ。59年高輪高等学校卒業後、証券会社勤務を経て不動産業経営に転じる。95年以降は志村化工(現エス・サイエンス)の取締役や社長を務め、2009年から現職。東京都不動産のれん会前代表。(撮影:梅谷秀司)

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始まりは銀座の更地坪1億円超で売買成立

当初は坪当たり1億円で土地を売ろうと思っていた。あの頃の日本では坪当たり約9000万円が最高取引価格で、世界一は香港の坪9500万~9600万円。それなら少し多い1億円くらいで、と思った。ところが後に諸事情を勘案すると売値を坪1億2000万円に上げる必要が出てきた。

1985年11月26日の日経産業新聞は「『銀座で坪1億』に冷静」という見出しで、貸しビル大手の山京商事が東京・銀座6丁目のキャバレー跡地を約100億円、坪当たり1億2000万円で購入したと報じた。都心部では坪当たり5000万円以上で土地が売買されているが1億円超の取引は成立した例がなく、「行き過ぎは明らか」という不動産業界内の声を伝えていた。山京商事に土地の所有権が移ったのは同年10月28日。この取引を仲介したのが、当時不動産業を手掛けていた品田守敏氏だった。

更地だったクラウン跡地(左)に建てられた「山京銀座ビル」は名前を変えて現在もある(右)(撮影:吉野純治)

土地の所有者は、平和相互銀行を創設した小宮山家のファミリー企業である足立産業だった。銀座で有名だったキャバレー・クラウンの跡地で、約80坪が長い間更地になっていた。小宮山家の内紛の結果、平和相互銀行は住友銀行に買収されるわけだが、その過程で小宮山家が頼った川崎定徳の佐藤茂社長を通じて、私が買い主を探すことになった。

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