当時、社長の暴走を誰も止められなかった
1980年代のバブル期には、多くの日本企業が高株価を背景に新株を発行して資金を調達し、金融市場などで運用益を稼ぐ「財テク」に走った。そうした財テク企業の代表といわれたのが、鉄鋼商社の阪和興業である。
創業者である北二郎氏(99年死去)の実弟で83年に2代目社長に就任した北茂氏(2011年死去)は、財務を営業と並ぶ有力収益部門へ育成すべく、資産運用を積極化する。92年までの間にスイスフラン建ての転換社債とワラント債を合計約4000億円分発行。調達資金の大半が特金(特定金銭信託)・ファントラ(指定金外信託)や外国債券での運用に充てられた。非実需の為替ディーリングも拡大。88年からはコマーシャルペーパーを大量発行し、大口定期預金での運用も始めた。運用資産は最大3兆円超にも及んだ。
しかし、90年以降の株価下落は財テクに多額の含み損を発生させる。94年1月、茂社長は引責辞任。代わって社長に就任したのが、創業者の長男で前年まで通産官僚だった北修爾氏である。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら