法人部隊での苛烈なノルマ営業の経験をつづった『野村證券 第2事業法人部』の著者である横尾宣政氏と、元大和証券副社長で証券界きっての論客として知られた十亀(そがめ)博光氏。日本の証券業界の黄金期と転落を知り尽くした2人が、バブルを振り返った(肩書きは当時、司会はジャーナリストの田中周紀氏)。
──まず横尾さんにお聞きします。バブル期はどんな印象でしたか。
横尾 1985年のプラザ合意から円高になり、半導体など輸出企業の株価が急落した。そこで野村証券の主導で円高・低金利相場、不動産相場に持っていった。土地をベースに、実力以上に企業価値を膨らませた株価だから、不動産融資の総量規制などで政策がガラッと変わると、株価も思い切り落ちてしまう。
さらに91年の損失補塡問題で、大蔵省(現・財務省)がめちゃくちゃな足かせをつけたものだから、がんじがらめになった証券会社はビビって動けなくなってしまった。
──不動産相場、円高・低金利相場は、野村が仕掛けた部分があった。
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