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みんなスキーに連れてってだったあの頃 ブームの象徴「苗プリ」の今

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長いスキー板、モノトーンのウエアが典型的なバブルファッション(写真:共同通信)

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金曜日の夜、超満員のツアーバスに夜通し揺られ、若者たちはスキー場に向かう。やっとの思いでたどり着くと、ゲレンデは見渡すかぎりの人、人、人。リフトに乗るにも30分以上の待ち時間はざら。いざ斜面に立つと周囲に目を配り、ほかのスキーヤーにぶつからないように滑らなくてはいけない。当時のスキーはまさに苦行。それでも、週末ごとに多くの若い男女が雪を求めてやってきた。

『私をスキーに連れてって』。1980年代半ばからじわじわと広がっていたスキー人気は、87年に公開されたこの映画をきっかけに、一気に花開いた。

スキーブームとバブル経済はその歩みを同じくしていた。カネ余りと、87年に制定されたリゾート法(総合保養地域整備法)がブームを後押しした。地域振興の名の下、地方のリゾート開発に税制上の優遇措置や政府系機関による低利融資を行うという同法を使って、数多くのスキー場が各地に造られた。

土地を取得し、斜面を造成し、リフトを建設し、雪を待つ。スキー場ができるまでには相当の時間を要する。一例を挙げれば、リゾート法適用第1号となったアルツ磐梯スキー場(福島県)の開業は93年。バブルはとっくに終わっていた。スキー人気は変わらず続いていたが、下図のとおり、下り坂はすぐ目の前にあった。

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