EVへの転換は必然、日産エンジン開発終了の真偽 EVや電動化は選択肢のひとつ、本質を読み解く

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
日産ノート オーラの走行イメージ(写真:日産自動車)

電動化やEV化に際し、部品メーカーの行く末を案じる記事も数多く見かける。だが、そもそもEVへの動きは30年近く前(1990年代前半)から起こりはじめていた。ホンダのある部品メーカーは、ガソリンエンジン用気化器を扱っていたが、10年ほど前に制御を主体とする会社へ変革をしはじめた。それによって、他社との合併を行うことになったが、今も存続している。当時の経営者の英断が就業者を守ったのである。そのためには明快な目標設定が必要だ。その意味で、ホンダの三部社長が示した期日は重要なのである。気化器のメーカーが10年で転身を図れたのなら、この先18年あれば、新たな事業への模索と実行は可能だろう。

「日本のものづくりを守る」という言い方の裏に見え隠れするのは、エンジンなど従来技術を守り、これまでどおりの事業を淡々と続けたいとの思いだ。しかし、日本の部品メーカーなど下請け企業の誇りとは、加工技術など職人技的な技術であるはずだ。それをエンジンで活かせば、精緻な高性能エンジンができるのであり、同時にそれは別の分野でも活かせることを意味し、ロケットでも医療機器でも、手を広げる分野はさまざまにあるはずだ。既存の形態を残すことが日本のものづくりを守ることではなく、手にした技を活かす分野を切り拓くことで日本のものづくりは守られるはずである。言葉の意味を取り違えてはならないし、そのような安直な解釈では未来はないと肝に銘じるべきだ。

EVや電動化は手段であり、その目的意識が本質

また、ものづくりは機器など目に見えるものだけに関わることではなく、制御のような目に見えないプログラミングなどもものづくりであることを忘れてはならない。要となるのは、何を目指すかという明確な指針や目標だ。そこを人間が決めることによって、人工知能(AI)も活きる。AIが進化すると人間が不要になるのではなく、目標を定めることが人間の存在価値ではないか。

電子制御はAIにまかせておけば勝手に良くなっていくというものではなく、人間が目標を定めなければ悪い方向へ発展していってしまうかもしれない。あくまで人間の理想像が未来を決めるのである。

エンジンがなくなるか、なくならないかなど、些末な議論である。クルマの未来がどうあるべきかという目的意識が重要であり、それなくしてEVもない。EVであるからこそもたらされる新たな交通社会と、人々が幸福に暮らせる福祉社会とが合体する手立てとして、EVは存分に力を発揮できる。そこは、エンジン車より得手であるのだと思う。

エンジン車かEVか、そんな矮小な議論に惑わされないでほしい。

御堀 直嗣 モータージャーナリスト

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

みほり なおつぐ / Naotsugu Mihori

1955年、東京都生まれ。玉川大学工学部卒業。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事