今も心に残る風景、北海道「消えた鉄路」の記憶 相次いで廃止された赤字ローカル線を振り返る
「日本一の赤字線」といわれた美幸線(美深―仁宇布間21.2km)は残念ながら現役時代には訪れる機会がなく、廃止後に訪問した。終点の仁宇布駅跡にはNPO法人が運営する「トロッコ王国美深」という観光施設がある。レールの残る廃線跡をトロッコで運転体験しようという施設で、森あり鉄橋ありとかつての線路を有効に利用して人気を集めており、この試みは各地の廃線跡に大きな影響を与えている。
廃線はその後も続き、第2次廃止対象線区として輸送密度2000人/日未満の路線が選定された。北海道では標津線、士幌線、広尾線などのローカル線、炭鉱鉄道としての使命を終えた歌志内線、幌内線などのほか、営業キロが100kmを超える名寄本線、天北線、羽幌線といった「本線クラス」の路線も含む14路線が入り、国鉄末期の1986年からJR化直後の1989年までに相次いで廃止となった。
国鉄ではないが、ダルマストーブ客車で知られた炭鉱輸送を担った私鉄、三菱大夕張鉄道も1987年に廃止された。
大ブームを呼んだ「幸福駅」も
これら第2次廃止対象線区の中で筆者の思い入れの深い路線では、まず広尾線があげられる。同線の幸福駅は1973年にNHKの紀行番組「新日本紀行」で「幸福への旅」として放送され、駅に観光客が殺到。さらには2つ隣の駅、愛国駅と併せて「愛の国から幸福ゆき」の切符も大ブームとなり、「愛の国から幸福へ」(芹洋子)という歌も登場してヒットした。1972年には7枚しか売れなかった愛国―幸福間の切符が、1973年から4年間で1000万枚以上も売れたという。
幸福駅の由来は明治時代に福井県からの集団移住者によって開拓され「幸震」と命名されたが、後に福井県出身者ということもあり福井の福があてられて「幸福」集落となり駅名も「幸福駅」となったという。同線は1987年2月に廃止されたが、幸福駅には今も多くの観光客が訪れている。
名寄本線の廃線も筆者には驚きだった。同線は特定地方交通線の中で唯一「本線」を名乗り、名寄から北見、網走方面へのメインルートとして貨物列車も蒸気機関車重連によって運行されていた路線だったからだ。天北峠越えの9600形蒸気機関車の力闘は今も記憶とフィルムに焼き付いている。
その後、第3次廃止対象路線は輸送密度4000人/日未満の路線が基準となった。道内では宗谷本線、石北本線、富良野線、札沼線、江差線が該当したが、これらの路線はピーク時の輸送量などの除外規程に当てはまったため選定されず、国鉄末期からJR初期にかけて続いた廃線は一段落した。
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