46歳社長がキーエンス→ホスト→起業で得た成功 「プロテイン」大ヒットの裏にさまざまな仕掛け

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群馬県に生まれた只石さん。幼少期に祖父の会社が潰れたことで両親から「経営者にだけはなるな」「いい学校に行き、いい会社に一生勤めろ」と、厳しい教育を受けて育った。その反動で中学生のとき“中途半端な不良”になったという。ある日、小競り合いの末、相手を入院させてしまう。

そのとき担任の教師からかけられた言葉が、彼を変えた。「お前は頭がいいのにもったいないよ」。自分を見ていてくれる人がいる。期待に応えたい。「死ぬほど勉強した」結果、群馬県トップの進学校・高崎高校に合格し、その後法政大学に進学した。

就活時、「年収が高い会社に入りたい」と思い、業界研究などの“器用な対策”が功を奏してキーエンスに入社。順風満帆に見えたが、入社後に落とし穴が待っていた。優秀な同期にかなわず、成績は最下位。それなのに「高収入」というプライドが邪魔して謙虚さを失い、地道な努力をせずに遊び歩く日々。成果をまったく出せない中、「自分の人生はほかにある」と、わずか3年で辞めた。

キーエンスを辞め選んだ道はホスト

再就職を目指すも、年収はキーエンス時代に及ばない。「俺はこんなもんじゃない」。選んだ道はホストだった。「『俺はすごいからホストで簡単に稼げる』って思ってたんです。実力で会社員よりも稼ぐぞ、と。でも最初に選んだのは浅草のホストクラブ。歌舞伎町じゃなくて、浅草なら勝てるだろうと」。しかし、プライドが高いせいかまったく固定客がつかない。

「浅草は客のレベル低い」と言い訳し、わずか8カ月で辞めて歌舞伎町へ。もちろん通用しない。ホストの2年間でついた固定客はたった1人。成績はもちろん最下位。貯金はなくなり、親の仕送りで生活し、友人の家を転々とする日々。プライドはズタズタ。逃げるようにホストを辞めた。

ホスト時代の只石さん。キーエンスを辞めて挑戦するもまったく固定客がつかず、2年で断念。20代後半で貯金がなくなり、親の仕送りで生活をしていた(写真:只石さん提供)

立ち直ったきっかけは、キーエンス時代の同期だった。アフィリエイト事業を勧められ、パソコン1台でレバレッジを起業。危機感の中、必死に勉強した。「こだわり社長」という名前でグルメ情報の記事を書き続け、アメブロ公式ブロガー1位に。確かな手応えを感じ、アメブロ執筆代行やHP制作を受託することで会社は成長していった。

しかし、“悪い癖”が出てしまう。経営者というプライドと傲慢。「『俺が稼いでるんだぞ!』と怒鳴りながら、デスクのありとあらゆる物を部下に投げつけるんです。完全にパワハラでした」。

ある日、部下10人全員から辞表を突きつけられた。傲慢になり、謙虚になり、また傲慢に……。何度同じことを繰り返すのか。自問自答をくり返した。

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