自己肯定感が「低い日本人」「高いドイツ人」の違い 謙虚で聞き上手な日本人、実は損をしがち?
そこには「私の話を聞いて!」という承認欲求を感じますし、時には休暇のゴージャスな過ごし方を聞かされて、「これはマウンティングなのでは!?」と感じることもあります。
しかし、ドイツで育った筆者にとって彼ら彼女らはどこか憎めない存在です。延々と自分の話をするドイツ人に慣れているせいか、承認欲求むき出しで嬉しそうに自分のことを話す姿を見ても、むしろ「人間らしくてかわいいな」とさえ思います。
逆に、日本では「自分のことよりも、相手のことを思いやる」ことが良しとされる空気があり、話し上手よりも聞き上手が好まれます。
これが両国の自己肯定感の差につながっているのではないでしょうか。たしかに「謙虚で聞き上手」は日本人の美徳かもしれません。しかし、それを見るほうからすると「人間的にデキた立派なふるまいだな」と思う一方で、「そのうちに過度な謙虚さが自尊心を損ねないだろうか」と、余計なお節介だと思いつつも心配になることがあります。
過去に面白い光景を見ました。日本人とドイツ人が会話している場に居合わせたことがあるのですが、日本人は「おもてなし」の気持ちからか、ドイツ人を前にしてドイツに関心を示す態度を見せるだけでなく、褒めちぎりました。
もちろん自分大好きなドイツ人は、いい気になります。その後、「私はこんなにスゴイんだ!」と自信満々に語り続けるドイツ人と、それを「本当にスゴイですね〜!」と相づちを打ちながら聞き続ける日本人という凸凹コンビ(?)がそこにはいました。
教育も自己肯定感に影響している?
教育の違いも日本人とドイツ人の自己肯定感の差につながっているのかもしれません。日本では、子どもが生まれた夫婦に「将来、どんな子に成長してほしいですか?」と聞くと、「多くは望みません。人に迷惑をかけない子であれば」という答えが返ってくることがあります。
日本ではポピュラーな回答かもしれません。ですがドイツ人からすると、「親が描く子どもの理想像=人に迷惑をかけない子」というのは衝撃的です。
実はドイツでは「人に迷惑をかける・かけない」という概念が浸透していません。当然、日常でこの言い回しが使われることもなく、ドイツ人の親や教師が子どもの行動を注意するときは、「テレビの音が大きすぎるからボリュームを小さくしてほしい」とか、「狭い場所にものを置くとほかの人が使えないので片付けるように」など、できるだけ具体的に伝えます。
もちろん「人に迷惑をかけない」という配慮は素晴らしいことです。ただし、その定義は日本人の中でも漠然としていますし、実際「何がどこまで他人の迷惑になるのか」がえらくわかりづらくもあります。
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