トンガへの人道支援から見る地政学的状況と日本 PIF分裂問題と太平洋諸島の地域秩序の変容

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太平洋島嶼国の国際社会における重要性と、その中での日本の立ち位置について、筆者は『西太平洋連合のすすめ』の第11章「太平洋島嶼国」で説明した。本稿では、太平洋諸島の視点から、第2次世界大戦以降、今日に至るまでの太平洋諸島をめぐる国際関係の動きを振り返り、その中で日本はどのような行動を示していくべきかについて述べていく。

第2次世界大戦後の太平洋諸島をめぐる国際関係

第2次世界大戦後の太平洋地域は、欧米諸国が引き続き影響力を示してきた。すなわち、英・仏・米・蘭という欧米列強に加え、豪州およびニュージーランドが中心となり、太平洋諸島の経済社会発展を協力して支援することを目的に、南太平洋委員会(SPC、現在の太平洋共同体)という地域国際機関が設立された。SPCでは、島嶼地域住民の生活向上に向けさまざまな支援を行った一方、各国の施政下に置かれた島々における政治的な問題については議論されることはなかった。

とりわけ、マーシャル諸島のビキニ環礁やフランス領ポリネシアのムルロア環礁での核実験が実施されていく中で、当事者である島嶼国住民の意見が反映されていないということもあり、1960年代以降アジア・アフリカ諸国の独立自治をめぐる動きと呼応する形で、各島国が独立を遂げていった。これらの島国は独立後に団結して地域の問題に共同で国際社会に取り組んでいくことを目的に結成されたのが、PIFである。

1971年に結成されたPIFは、先進国の豪州・ニュージーランドを含めた7カ国でスタートした。常設事務局がフィジーの首都スバに設置され、議長国は加盟国間での持ち回りで、年に1度議長国で年次会合が開催された。このため設立当初のPIFは、共通課題について加盟国内で協議する「会議体」として認識されていた。

太平洋諸島に対する関心の高まり

21世紀に入ると、太平洋諸島に対して国際社会の視線が徐々に向けられるようになる。その理由としては、①気候変動問題などへの関心が高まり、その影響を受けやすい地域として報道される機会が増加した、②一国一票の原則に伴い、国連などの国際場裡において小島嶼国の支持が相対的に重視されるようになった、③中国の台頭などを受け、同国の海洋進出などの動きから地政学上の重要性が指摘されるようになった、などが挙げられる。

このような太平洋諸島に対する関心が高まる中で、PIFの役割に大きな変化が生じた。9・11同時多発テロの影響もあり、これまで島嶼国のオーナーシップを尊重し、地域の見守り役に終始してきた豪州が方針を転換、インドネシアから太平洋諸島に連なる三日月地帯の治安維持を目的に、PIFへの関与を強めていった。2003年にはソロモン諸島で起きた騒擾に対し、豪州が中心となって軍隊や警察部隊等で結成された地域支援ミッションRAMSIを派遣した。

また、PIFに関してもそれまでの緩やかな会議体から地域統合に向けた動きを強めていき、2004年にはPIF事務局主導での地域統合・政治統合を進める計画「パシフィックプラン」が採択された。この動きに対して、フィジーなどを中心に豪州のあまりにも強い関与の姿勢を非難する島嶼国も見られた。

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